論文感想(和田 晴吾. 2011. 「古墳時代研究小史」)

2017/5/30

和田 晴吾. 2011. 「古墳時代研究小史」広瀬 和雄・和田 晴吾編『講座日本の考古学7 古墳時代(上)』青木書店、を読んだ。

-江戸時代から1960年代までの古墳時代研究史。胎動期(江戸)・揺籃期(明治大正)・生成期(昭和前期~1945)・発展前期(昭和中期1946~1969)と時期区分。
発展後期(~現在?)がないのは、単純に手が回らなかったからのようで、「おわりに」で概観されている。
科学的考古学がはじまったのは、昭和に入ってから。後藤守一・梅原末治らが主導。戦後になって、社会での考古学ブームなどに並行して発掘法などが整備されていく。小林行雄などによって時代像も描かれるようになる。

論文感想(福永 伸哉. 2013. 「 前方後円墳の成立 」)

2017/5/29

福永 伸哉. 2013. 「 前方後円墳の成立 」大津,透ほか編『岩波講座日本歴史 第1巻 : 原始・古代1』岩波書店 を読んだ。

-「前方後円墳成立の意義」を研究史・研究の新潮流と関連付けながら、検討する。著者の専門の三角縁神獣鏡あたりも述べられるが一部に留まる。
2c後半の「地域シンボル」の消滅を、卑弥呼擁立による政治的統合とみて日本史上初の中央政権とする。箸墓が前方後円墳成立の画期であり、これは卑弥呼のものと想定して無理なしという。この政権がそのままヤマト政権へつながる。ヤマト政権の中央の勢力交替と地域把握とは連動する。
最後、中国・エジプトの墳墓との簡単な比較をした上で、国家形成過程上への古墳時代の位置づけが課題としめる。

-年代についての記述が、「二世紀後葉」「庄内式期のはじまり」「弥生後期後半」などと錯綜(いずれもおおまかに同じ時期を指している)していて整理しづらい。意味合いが違う(後二者は変動しうるし、互いに独立)のは分かるが、少なくとも筆者が念頭に置いている比定がわかりやすく提示されるとよいなとは思う。雑誌論文ではないのだし。

-ヤマト政権による地域エリート把握の進展の詳細が気になる。人制との関わり、継体政権の評価、家族のあり方など。
墳墓築造の巨大化(200メートルを超える規模)を「競争的行為」から「統治手段」への変化と評価したうえで、この種の巨大化をしたのは古墳時代社会の他には中国・エジプトなど少数の国家段階社会のみであるという指摘がこの論文のポイント。

-なお、この論文は昨年の秋ころに一度読んでいた。
和田晴吾さんのものと比較して読むと、和田さんの主張が明瞭化する。古墳時代初期の箸墓古墳を画期とする福永さんと、古墳時代後期の今城塚古墳を画期としてそこに新秩序をみる和田さん。墳丘の規模の巨大化(200mを初めてこえる墳丘は箸墓)に注目するか、墳墓の単独築造(同一墓域に複数の古墳がつくられていた形式から大王墓単独になるのが今城塚)に注目するか、の違い。

論文感想(長野 ひろ子. 1990. 「幕藩制国家の構造と女性-成立期を中心に-」)

2017/5/29

長野 ひろ子. 1990. 「幕藩制国家の構造と女性-成立期を中心に-」近世女性史研究会編『江戸時代の女性たち』吉川弘文館,を読んだ。


-幕藩制国家の政治構造・権力構造のなかにおいて、女性がいかなる位置にあり、またどのような役割を果たしていたか?について、将軍大名の妻娘の公的性格と女房衆の女性家臣としての役割を検討。
統一政権成立期までは政治的に活躍した女性が存在したこと、幕藩制国家の展開にともなって「表」と「奥」の分離と、「奥」への女性の封じ込めが進んだことを述べる。
具体例は島津家周辺。歳久夫人・伊集院忠棟夫人・義久の末娘亀寿・義弘の末娘千鶴・義弘や忠恒と女房衆とのやりとりなど。

-おわりがけには「権力機構中枢に女性が奉公すること自体、家父長制原理・意識と相反するものであったろう。」という文言。家父長制的家は「中世以来日本社会に浸透してきていた。
幕藩の「奥」女房衆は給金・扶持であったが、朝廷へ使える女性は知行は高で与えられていて性格が異なるという指摘があり、この点は論文の核には位置していないが非常に気になる。幕藩と朝廷では家の原理が異なるという話になるのだろうか。

論文感想 (和田 晴吾. 2004.「古墳文化論」)

2017/5/25

和田 晴吾. 2004.「古墳文化論」(歴史学研究会・日本史研究会編『日本史講座;第1巻 東アジアにおける国家の形成』東京大学出版会.)を読んだ。

-古代から順に基準になりそうな論文を選んで読んでいきたい。
「最初の列島規模での政治的統合がどのような形で進行したか?」ということで古墳時代を五期に分けて歴史過程を概括。前提となる弥生墳丘墓も検討する。
第三段階(4c後葉から5c中葉)を首長連合体制の到達点・成熟期とみて、そこから第四期への変化を最大の画期(「古墳時代の前後の差よりはるかに大きい」)とする。それはもはや古墳時代という区分自体の再考に向かってもよいのじゃないかと思える主張。

-「この時代を考古学的な研究に基づき本格的に評価しようとする試みはまだ始まったばかり」ということで、近藤義郎の部族連合論、都出比呂志の前方後円墳体制・初期国家論を踏まえて古墳秩序の変遷を辿っているよう。十数年前なので、今はどこまで進展しているだろうか。

-個別に面白い主張や表現が多々。
古墳時代の社会システムについて述べた上で、古墳祭祀がそのシステムを支える重要な役割を担っていたとし、「古墳時代社会はまさに生者が死者とともに生きた葬祭社会だった」
第三段階の首長連合体制の成熟期には東アジア世界との交流がさかんとなり、大陸から多くの人・もの・情報が流入し、文化が大きく変化する。これを評して「一種の文明開化的状況」

-第五段階(6cころ)に展開する新秩序のもとで、王権が家長層の掌握を通じて民衆支配をすすめるというが、古墳の観察からだけでこれはいえることなのだろうか。「集権的な国家体制の成立過程と家父長制的な古代家族の成立過程は並行」するということだが、疑問。

2017年5月の読書と感想


戦後ドイツ―その知的歴史 (岩波新書)戦後ドイツ―その知的歴史 (岩波新書)感想



東西ドイツの統一1年後に書かれたもの。第二次世界大戦後の西ドイツの思想について。もっと読まれるべき本(どれくらい読まれているのかは知らない)、戦後日本を考えるために。/歴史家論争およびハーバーマスの当時の位置づけを知りたいがためにざっくり読んだ。あまりにも時系列順にぐいぐい話をすすめるので、臨場感はあるが、読む側に関心軸がないと読み進めづらいかなと思う。

ー自分の生まれた年に書かれた本。ドイツが分裂していたというのは歴史的出来事としてしか認識できない世代でもあり、なかなか筆者三島さんとの距離は遠い印象。読み取れていないニュアンスがたくさんあるのだろうと感じる。

-60年代末の学生反乱とセクシャルレボリューション、ブラント政権下の教育改革などで学生のありようが大きく変わったという点にも注目しておきたい。

読了日:05月01日 著者:三島 憲一


学問は現実にいかに関わるか学問は現実にいかに関わるか感想

 

 

分量も硬さもバラバラな「小品集」。しかしいずれも「学問」と「現実」の関係について触れているもの。第二部の4丸山眞男論と7蝋山政道論、8満州事変ー日中戦争当時の日本の対外関係研究についての論文が興味深かった。が、あとがきにある「「現実」と「現在」を混同してはならない。」という(田中美知太郎を引用した上での)主張が最も印象的。

読了日:05月02日 著者:三谷 太一郎


ゲンロン0 観光客の哲学ゲンロン0 観光客の哲学感想



ひとまず一読。「この問題を今考える必要がある!」ということがこれほどよくわかる本はそうそうない。特に第一部の観光客の哲学。「ぼくたち」という人称も違和感なく入ってきてしまう。/家族を回避せず、市民社会も回避せず、しかしその先で国家とは違う政治組織をめざす。という第二章の一部分で早くも「家族」に躓いたが、だからこそ第五章はじっくり読んだ。/「憐れみ」や「家族」をキーワードにするせいか、ごくたまにだが中国哲学の本を読んでいる気分に襲われた。(ネガティブな含意はない。)

-第五章、アイデンティティに関しては非常に気になる。個人でも国家でも階級でもない第四のアイデンティティ。趣味の共同体(個人的には関心高め)は自由意志で簡単に出入りできるから核になりえない、としてバッサリ。候補にあげられるのは家族。家族とはいうものの婚姻ではなく親子こそが核になっている。日本のイエについても言及があり、参照は『文明としてのイエ社会』。思想の本筋とは逸れるし東さんの仕事とはあまり関係ないにしても、日本の「イエ」についてはもっとまともに研究されるべき。

-これも本筋とはずれた話だが、「観光」の定義などに関して、西欧しか参照されないのは物足りない。日本近世の「遊山」も参照されたほうがいい(他地域はわからないが)。まぁこれもおそらく専門的な研究の進展の問題。

-強制性、偶然性、拡張性と3つの家族の性質があげられている。「同期」とか、「同級」とか「同時代」などのつながりを少し連想する。

読了日:05月03日 著者:東 浩紀


私の履歴書〈第1集〉五島慶太、里見ク、鈴木茂三郎、杉道助、堤康次郎、新関八洲太郎、長谷川伸、原安三郎、松下幸之助、山崎種二 (1957年)私の履歴書〈第1集〉五島慶太、里見ク、鈴木茂三郎、杉道助、堤康次郎、新関八洲太郎、長谷川伸、原安三郎、松下幸之助、山崎種二 (1957年)感想


1956年の「私の履歴書」。1880年代~90年代生まれの人達なので、60~70歳あたりか。経済人が多い。五島慶太堤康次郎が一緒の年に書いているのは面白い。互いへの言及はそんなにないが。新関の普通のサラリーマンっぷりに好感を抱いてしまうくらいに強烈な個性の人が多い。みんな自己肯定感がものすごい。作家はひねくれていて、里見弴は面白いが、長谷川伸は何を書いているのかさっぱり、、、。

読了日:05月08日 著者:


再起動する批評 ゲンロン批評再生塾第一期全記録再起動する批評 ゲンロン批評再生塾第一期全記録感想



第2期最終講評会を流し見しながら、座談会部分を中心に流し読み。再生塾の試みについてはとりあえず「批評は一人でやるもんじゃない」という言葉に集約されている。/座談会最後で、反資本主義=反「作品」などといっている部分は「批評家とは「生き方」」なんていう安易な言葉で括っておくだけでは勿体無い視点じゃないかと感じる。/第一期の時は存在は知っていつつも全く見ずにいたが、第三期はリアルタイムに観客でいようかなぁとか思ったり。

-なにかしらを見るときにそれを一個で完結した「作品」としてみるか、そうでないか、って非常に明確な分岐点だと思っていて前者を前提に感想述べたり、創作しようとしたりする人とはあまり話が合わないという実感がある。この本とはあまり関係がない。

-課題と回答では、安藤礼二さんの文章が気になる。

読了日:05月08日 著者:東 浩紀,佐々木敦


フランクフルト学派 -ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ (中公新書)フランクフルト学派 -ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ (中公新書)感想


ホルクハイマーとアドルノがメイン。人物像や人物同士の関わりなどまで踏み込んで書かれるので、それぞれの問題意識がかなりわかりやすく感じられる。書籍・論文のタイトルや概念については聞いたことがあっても、人物像などはほとんど知らないことばかりなので、こういうものはとてもありがたい。日本での受容についても触れてくれていると、自分の位置の把握もしやすかったなとは思った。

読了日:05月10日 著者:細見 和之


公共性 (思考のフロンティア)公共性 (思考のフロンティア)感想



ハーバーマスアーレントを中心に、筆者自身の意見も述べつつ、「公共性」を巡る様々な言説をマッピングしている。参照軸として有用だと感じるので、もうすこしじっくり読み込んで明確に理解したい。/アイデンティティについては、自己のアイデンティティは複数であるべきこと、自己の内部での価値観の「複数性」こそ「思考」の前提であることがアーレントに則して言われている。

-「公共性は言説の空間である」として「言説」を中心に置いているわけだが、それがもたらしてしまう限界をいかに克服していくか、というのが議論の推進力になっているのかという、これは素朴な印象。

読了日:05月16日 著者:齋藤 純一


歴史の虚像を衝く歴史の虚像を衝く



読了日:05月16日 著者:笠谷 和比古


フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)感想



再読。/構造主義的思想家たちとフーコードゥルーズデリダ、そしてデリダ以後のフランス現代思想を人物ごとに辿って概観する。それぞれの思想家が何を問題として思考したのか、そして何を問題として残して去っていったか。。。フーコーデリダについては時期区分もして変遷を述べているが、ドゥルーズについてが一番力がこもっているように思う。/ほぼ全員に対し「疑問は残されたままである」という言葉で章を閉じている。叙述への姿勢が明確。/メディア論的転回が気になるので、そのあたりの著作をチェックしていきたい。

-ブックガイドに伝記・自伝がまとめて載っているのはとても良い。/「マルクスの死」が叫ばれる中でのデリダマルクス主義へのコミットメント(”相続はつねに使命である”)なんて箇所を読みながら東さんと批評についてちょっと思ってみたりした。/個人の好みで言えば、概説であってもやはりデリダに一番惹かれる。

-しかし、フーコーはストレートに歴史を対象としているのだから、読まないといかんな、と思う。

読了日:05月19日 著者:岡本 裕一朗


いま世界の哲学者が考えていることいま世界の哲学者が考えていること感想



再読した『フランス現代思想史』が面白かったので読んだ。第一章は現在の英米独仏の思想動向がまとめられていて参考になる。以降の章はもはや「哲学者」がどうなどはあまり関係なく、現代社会に関する様々な著作のブックガイドという趣き。各学者・思想家への突き放した扱い方は『フランス現代思想』と同様。何を問題にして考察したか、と何を問題として残したか、が述べられる。第五章の宗教あたりは個人的に関心があるので参考になった。

-ブックガイドとして利用して、ここから広げていかないかぎり、あまり知識はつかないだろうなという感じ。全体の動向や何が問題とされているかくらいはわかるだろうか。紹介されるそれぞれの本の可能性をもっと独善的に読み込んでくれたほうが、面白いし、良い読書になるよなとは思う。確実に読み取れることだけを書いています、という筆致なので(実際そうなのかどうかはわからないが)。しかし、それはこの本に要求することではないだろうな。/「自然主義」って単語ややこしすぎるよ・・・。

-宗教の章で、「世界全体を視野にいれるべき」とテイラーらにコメントしているが、この本には西欧圏以外の本は全く出てこない。日本発の文献も皆無。まぁ出版社から求められていないということか。/筆致があまりにも読者然としすぎていて、ネットのレビュー記事を読んでいるみたいな感触がある。が、とにかくブックガイドとしてとても有用であると思うので随時利用していければ。/とりあえず、新実在論・メディオロジー・脱世俗化論あたりを。。。

読了日:05月20日 著者:岡本 裕一朗


自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)感想



ゲンロン0から。/リバタリアニズムの解説。様々な立場を紹介しつつ、筆者の森村さんの主張が展開される。とても説得力があるように感じたし、魅力も感じる。確かに極端だが、ちゃんと根拠がある。気になるのはやはり、子どもの扱い、将来の世代について、利他性への楽観など。/プライヴァシーの権利について(認めなくていい)や婚姻制度について(法的に廃止すべき)のやや極端な提言は(やはり人間に対して楽観的な気がするのだが)読んだかぎりでは同意できる。

-しかし、徹底した制度の話であるので、共同体やアイデンティティなど、具体的な生活のありよう自体、それへの意見の持ち方は全く別の問題。制度なんだから当然かとも思うが、現状ほかの制度はそうではない。ので、この点こそが最も素晴らしいポイントなんだろうと思う。制度は制度として設定しておいて、そのなかで各々が自分の信じるよい世界を目指すことができる。

読了日:05月21日 著者:森村 進


公私 (一語の辞典)公私 (一語の辞典)感想



ざっと読んだ。中国と日本の「コウシ」「おおやけわたくし」の比較による概念解説。日本の「領域の公」の共同性と中国の「つながりの公」の共同性の違い、日本の公私の重層構造などなど。言葉・概念が思考や行動を規定している好例のように聞こえるが、実証的にどうなのかは読んだだけでは判断がつかない。中国の「公」の民主化の課題については、あまり現状の欠陥がわからなかった。溝口→吉田孝→田原嗣郎・勝俣鎮夫と論の展開があるようなので、そちらをたどっていく。

読了日:05月21日 著者:溝口 雄三


翻訳と日本の近代 (岩波新書)翻訳と日本の近代 (岩波新書)感想



丸山と加藤の対談。対談は諸々漏れ出るものがある。丸山の学者としての姿勢とか、どういう文脈でものを考えているのかなど。加藤の質問に対して「それはわからないね」と答えるところが幾箇所もある。/丸山の、徂徠と福沢への愛着とか、小林秀雄宣長論への違和感とかも語られる。/「翻訳で読む方がラディカルになる」という安岡章太郎の話の紹介なんかも面白い。(誤配的な?)

-比較史的な関心に貫かれているし、まさにその比較史的な関心自体をも徂徠や福沢を通じて歴史化して語っている箇所もある。日本近世とヨーロッパ前近代~近代と両方の伝統の中で思考していることが伝わってきて、さすがに思想のスケールが大きいなと思わされる。

-丸山は人物で語るタイプなんだなというのがよくわかる。加藤はもう少し文明論的というかそこまで厳密でない印象。これは加藤が問題意識を携えて丸山に質問するという形式をとっているせいで起こっている対比でしかないかもしれないが。/「~かしら」とか「~なのね」とかの語尾がすこし気になる。古い雑誌でも読まないとここらへんの感覚はわからないな。

読了日:05月22日 著者:丸山 眞男,加藤 周一


グランドツアー――18世紀イタリアへの旅 (岩波新書)グランドツアー――18世紀イタリアへの旅 (岩波新書)感想



ゲンロン0から。以前副題をみたときには「18世紀イタリアへの(筆者の)旅」だと思って手に取らなかったのだが、「18世紀イタリアへの(18世紀ヨーロッパ知識人層の)旅」の話だった。「グランドツアー」なんて単語知らなかったよ・・・。筆者が岡田さんなので内容は美術史部分があつい。自分に美術知識が足りないことはよくわかる。図版は見やすいくらいの量なのでとてもよい。/しかし、ここで、ハーバーマスの「文芸的公共性」という言葉に遭うとは思っていなかった。サロンなどの人間関係の有り様は興味深い。

-1章「人」は猥雑さが魅力的。近代日本での浅草を感じる(?)。2章「自然」はイタリアの「ピクチャレスク」で「崇高」な自然への旅を辿る。アルプスにマルモレの滝にヴェズーヴィオ火山。なんだか『指輪物語』みたいだ。時期はずれるけどイギリス製のファンタジーの世界観にも影響あったりするのかな、と思っていたら『ナルニア国物語』の名前がでてきた。

読了日:05月22日 著者:岡田 温司


英米哲学史講義 (ちくま学芸文庫)英米哲学史講義 (ちくま学芸文庫)感想



経験論に発する功利主義分析哲学という2つの潮流を、現在のベイズ主義などへ流れ込ませる形で描き出す。哲学説史。向き不向きの問題なのだろうが、時代背景などが少ない哲学史(しかも元知識がほぼない分野)なので、なかなか頭に入らない。。。読みやすくはある。単語などの感覚を掴むためくらいの気持ちで読み通した。経験論というものが少しわかったように思う。/ロックが魅力的に語られており興味を持った。/ポパーやクーン、ダントの位置づけは歴史哲学がらみで気になるところ。

読了日:05月25日 著者:一ノ瀬 正樹


士(サムライ)の思想: 日本型組織と個人の自立 (ちくま学芸文庫)士(サムライ)の思想: 日本型組織と個人の自立 (ちくま学芸文庫)感想



93年版を加筆修正した文庫本。97年刊。『文明としてのイエ社会』への歴史家からの応答があったのは知らなかったので、読んだ。応答というよりも継承のようだが。(『文明としての~』未読)/現在日本の「日本型組織」の源流を武士団成立・近世の藩成立まで遡って、日本近代化への影響まで論じる。「日本型組織」称揚の色強め。「武士道」に日本型組織における「個」の自立をみたり、鷹山の「伝国の詞」に公共性理念の発展をみたりしている。

-公共性というよりも共同体主義(むしろ国民共同体かも)に近いんじゃないかという聞きかじりの政治哲学知識(斎藤純一『公共性』)。/近代化への寄与を論じるのはいいとして、その近代化がどこに行き着いたかについては全く触れないというのは、やはり非常に違和感がある。著者の専門からは外れるにしても。。

-ここでいわれるような「日本型組織」(タテ社会・集団主義年功序列・終身雇用 ・合意尊重・間柄重視、、、)が日本社会に広く見られる事が前提になっているという点にはただただ単純に時代を感じざるをえない。

読了日:05月28日 著者:笠谷 和比古


考古学と古代史のあいだ (ちくま学芸文庫)考古学と古代史のあいだ (ちくま学芸文庫)感想



タイトル通り、考古学と古代史の関係が主題。(むろん主軸は考古学)/考古学が歴史の解明について果たす役割が大きいこと、そのためには文献史学との協業が重要であるが、なれあいも手法の混同もいけないということ、などを具体的に古墳時代の研究を紹介することで言外に語り続ける本。/序章に、白石さん本人の研究者になるまで・なってからについての軽い自伝があり、これが面白い。中学の世界史の先生の話とか、大学(50年代に入学)でのマルクス史学への違和感とか。多数出てくる研究者の名前が総ルビなのもやさしくてよい。

読了日:05月31日 著者:白石 太一郎

2017年3月の読書と感想

電子書籍で読了。文庫が出たら買おう。 4人のことを忘れちゃっているかと思ったけど、そんなことはなかった。奉太郎の繊細さに息をのんでしまうシーンが何度も。苦しいけれど美しい生を生きてる。表題作、いいです。「箱の中の欠落」って何か語り尽くされてない部分がある気がするんだがわからない。悔しい。
2017/03/06
 
「夢」の話、ってみんな言うけども、これはほんとは館長の話なんじゃないかな、なんて、それっぽいことを言いたくなった。彼は夢に囚われて生きてなどいなかったんじゃないかと思う。 星に願いをかけることと手を伸ばすこと。
 2017/03/07
 
二人の興福寺の僧侶の日記をもとに、大和からの視点で応仁の乱前後(大和永享の乱から明応の政変)を眺める。(帯にもどこにも「日記を元に」なんて事書いてなかった。書いてくれたらもっとはやく手に取ってたのに。) 文章自体はそれほどドラマチックな書きぶりでもないのだが、室町~戦国にこの種の面白さを感じたの初めて。Game of Thronesみたいにしてドラマ化したい。大内の上洛とか多分盛り上がる。
2017/03/08
 
幕末は成熟した伝統社会だった、という視点から、幕臣や民衆を評価し天皇薩長を批判する物語を立ち上げている。特に後者の大国主義への批判が一貫している。 幕末維新の対外危機はつくられたものだと指摘。その他、特に長州あたりの行動に対して「演技」「芝居」などとの言葉を使っていて興味深い。「あたらしい神国思想」という部分も気になるが、誰の議論だろうか。
カギカッコでの引用が多すぎて辟易する。引用元の明記のない単語単位の頻繁な引用が有効なのか疑問。
2017/03/11
 
人生論的エッセイ。佐々木さんの『未知との遭遇』に似ていると思う(一瞬だけ引用されてる)。「物語は、人生につける薬である!」とは表紙裏のキャッチだが、薬も利用の仕方によるということか。(本文中の「人間は…ストーリーを自分で不可避に合成してしまう」という言葉とは微妙にずれている。) 色んな人に読んで欲しいなぁと思う箇所が多々。 引用がたくさんあるのは個人的には嬉しいけれど、そのせいで人に薦めるのには躊躇いを抱いてしまうかも。
2017/03/11
 
ゲンロンから。 若者には分からんかも的なことを東さんが言っているので、そのつもりで読んでいたが、「ねじれ」も「身体性」も「語り口」もある程度分かるような気がする。掬えていない部分も多いのだろうけれど。 共同性を切断するために語り口=文学が必要。公共性にはどうやって辿り着くのか、多分前提知識にあたる部分が僕には足りない。「弔い」の意味の重さも掴めていない。 「敗戦後論」は初読のときにはやはり「国民」云々が気になりはしてしまった。
ー太宰の「トカトントン」「散華」などを再読してみたが、加藤さんの読解に納得できない。「トカトントン」の作家は太宰の分身なのだろうか。とてもそうは思えない。分身だとするならむしろ若者の方がそうなんじゃないのか。太宰の良い読み手ではないのでわからないけれど。(それから「散華」には(にも?)いつ「トカトントン」的虚無が押し寄せてもおかしくない脆さがある気がした。)
ー「太宰に導かれてこの文章が書かれているのだな」という感触は太宰を読み直すとたしかにある。
2017/03/12

 
ネット記事で「上の空感」について、この本が言及されていたので、読んでみたが、全編非常に面白い。肝心の「上の空」感については掴めたのか掴めてないのか微妙なところ。(使われるポップスがわからん)/ 「競争」意識、僕にはそんなにないぞ!と構えつつ読んだが、、、あるなぁ、こういうのは。。。止めたい。/ 海外交流について、OSの切り替えという話はとても面白い。海外に関して以外でもOS切り替えという意識で生きたい。/ ラストはいきなり話が深まって単婚制の相対化。有り得なくなさそう。面白そうとも思う。
ー「上の空」の魅力は、なんとなく分かるような気がするのだが、この本で言われているものはもっと繊細なやつな気がしている。 ところで、単純に読んだタイミングの問題で連想してしまうのだが、この「上の空」って加藤典洋敗戦後論』における太宰の「トカトントン」やホールデンの「ちゃらんぽらん」(サリンジャー)となんとなく似ているような。そうすると加藤のいう「文学」の男性性って感じな話になっていくけれども・・・?(アーレントの「語り口」はこれら2つと同じものなのかなぁ)
ーネオパパ論には膝をうちまくった。カフェ男も。 リゾラバ云々のところでアジアから日本に来る女性と、現地男性(日本人)とのリゾラバの可能性がちらっと言及されているけど、「あ、なるほど、、、」と思ってしまった。たしかに、なんでないんだろう。(半観光都市民の実感)/ この人は多分冷静に分析・観察しているだけで責めているつもりなんて無いんだろうけど、気を抜いて読むと責められてるみたいに感じてツラくなってしまう部分があるかも。
2017/03/12
 
『男をこじらせる前に』と併せ読み。「女子」はあまり関係ない「文化系」の話も多い。自分自身をカテゴライズする言葉で居心地のいいものを今までもったことがなかったが、この人の言う「文化系」という言葉には自分がすっぽり入ってしまうかもしれない。ちょっと衝撃的な気づきかも。/途中の自伝部分にはそのハイクラス感に圧倒される。/「黒い」(=正しくない)「文化系」には厳しいがそれも愛ゆえか。/東京を感じる。憧れるがこの世界とは距離を置きたいとも思う。
ー「背表紙ハンティングin本屋」p232という表現は頷いた。自分がしていることにうまいこと言葉と解説を与えてくれた感じがある。
2017/03/13
 
「現在のわれわれを内縛しているさまざまな「仕掛け」がつくられた時期」として自由民権運動と帝国憲法体制成立を描く。政府・民権・民衆の三つ巴。「文明」=「囲い込み」。福沢諭吉森有礼がキーパーソン。/「客分」意識や「万歳の誕生」あたりの叙述にやはり精彩がある。
2017/03/14

読みやすく、わかりやすい。/”学術書を「書く」とは、学術書を「読む」ことに他ならない。”
2017/03/15 
 
〈はじめに〉で書かれているように「ここには答えはない」。主にゴフマンとジンメルの引用で恋愛(後半はもう少し広く他者との関わり)について述べていく。/筆者の個人的な経験から出発している本らしく、後半は哲学的になっていくけれどそうなる必然性もなんとなく分かるような気がする。終盤はちょっと理想主義な印象もあるけれど前向き。/他者との「感覚的相互作用」、楽しんで生きていけたらそれは本当に本当に本当に幸せだろうな。
2017/03/20

フランスなどと異なり、日本は敗戦という「外圧」によって植民地を破棄したので、「植民地問題」を安易にしか「解決」していない。その「植民地問題」の出発点にあたるのが、この本の扱う日清戦争日露戦争期。帝国へと変化していく国と「国民」を描く。/初期議会の流れがとてもわかりやすい/第六章「民友社と平民社」も興味深かった。”日本近代最初の「戦後文学」は、戦場の前線と、都市スラムの闇底からやってきた””帝国大学で西洋文学を学んだ近代作家たちが捨て去った、江戸の民衆文化、民衆文学を再生させたことこそ、二葉亭四迷の成果”
2017/03/21

「あとがき」にある通り、かなり時事的な内容。中世人は現代人と同じくらい現実的だったんだ、という主張が多々なされるけれど、それは、現代人は中世人と同じくらい宗教的だ、という方向から検討したほうが実りがあるのではないかと感じた。中世の契約の現実的功利的側面よりも、現代の日本人の抱く「契約」という概念に潜む宗教性や神秘性の方が気になるし、「人のつながり」を捉え直すならそのほうが必要ではないのか。
延暦寺の大衆僉議について、勝俣鎮夫の先行学説を批判というかほぼ揶揄しつつ、顔を隠したり声を変えたりして決議をしたところで人ならぬ存在には変身できないだろう(”自分の鼻をつまむだけで神様になれるものだろうか”)と書いている。これは単純に演劇的感覚の欠如なのではないかと思う。大人数で集まり、目を隠して、声を変えて決議をすれば、神を信じていようがいまいが、人ならぬ存在を感じてしまうことくらいあるのではないか。
2017/03/22

Twitterで話題になっていて気になっていたので、タイミングはずれたけれど読んだ。もっと個人的なエピソードで語ってほしかった。中途半端に客観的。/わかるなぁとは思うものの、ここに描かれるほどには卑屈になる要素はなかったなと思う。スポーツさほどできなかったわけではないからだろうか。鈍感だったのかもしれない。そもそも中学からは進学校だったから小学校だけの話だけれど。
ーなんでもかんでも「勉強」に繋げすぎていて、いまひとつ説得力に欠けるなと思う。読んでいるとむしろ「スポーツできる子」の方が搾取されていそうな気がしてきてそちらが大問題じゃないかと思ったり。/最後のインタビューもなんだか能町さんの発言を先回りして解釈してしまっていてどうかなと思ってしまった。
ー四章の処方箋は同意しがたい。そこまで周囲を「敵」認定しないとやっていけないものだろうか。過酷さを軽く見ているのかもしれないが。。。スポーツは一人でなんとか上手くなろうと努力するよりも、「できる子」に教えてもらったりしつつ仲良くなったりして、上手くなろうとする過程をも使って楽になることを目指したほうが良くはないか。それは簡単ではないのはそうだろうけれど、四章に書いてある方法だって簡単ではないじゃないかと思う。
2017/03/24

「旦那衆」/「雑業層」。都市/地方。内地/植民地。男/女。政府批判はしつつも統合へと向かう「帝国」のデモクラシー。
2017/03/26

ただひたすらに政治と外交を描き抜いている。/他人事だったら、「一体全体なにがなにやら」と投げ出しもできるんだろうなと思うような軸のない時代の展開。/陸軍による「国防思想普及運動」などでの煽動の論理と実際に陸軍が目指したものとのずれにその一つの淵源をみる。五章中盤では農民や都市小市民の社会的要求を代弁しえたのは陸軍だけだったとのゾルゲの分析が強調されるでもなく紹介されている。
2017/03/27
 
「で、それが何?」とは言えないよなぁ。最初の「事件前夜」の文章が太宰みたいでこんな調子で一冊続くのか!?と思ったが次の章からは随分落ち着いた普通の文章だった。/生い立ちあたりを読むと、これだけ壮絶な子ども時代を送っていながら良くここまでまともに(と思った)育ったな!と感じてしまう。/とりあえずこの本はキズナ=糸の具現化でしかありえない。この糸が犯罪でしか生まれ得なかったことこそが残念なことなのかなと。
ー著者は77年うまれ。その父親は昭和20年(1945)鹿児島生まれ、母親は昭和23年(1948)川崎生まれ。
2017/03/27
 
再読。「いまこそ、教養とはなにかをことのはじめから考えるチャンス」/ずっと読んでいって、終章に引かれる今の学生の言「読書で人格形成するという考え方がわかりづらい」に当たるとやっぱりせつない。/自分はまさに元「教養主義奥の院」にいた経験があるわけだが、なんだかんだこの教養主義は残滓としてはかすかに残っていたように思う。むろん規範などではあり得なかったが。岩波文庫を全部読めとかいう教授もいたし、実行しようとした同級生もいた。
マルクス主義との関係や、石原慎太郎論、フランスのノルマリアンとの比較に、岩波についてなど、改めて読むと部分で取り出しても面白い話がたくさん。/メインは「戦後日本でこそ、教養文化は大衆化した」という点。
ー刻苦勉励的、上昇的、「成り上がり」的な文化になんとなく嫌悪感を感じてしまうのは、自分にそういう部分があるからなのだろうか。/70年代以後、農村と都市の生活様式にほとんど格差がなくなり、農村性が消滅していくことで刻苦勉励的エートスが崩壊していくとのことだが、今でも感じる地方・都市部それぞれの出身者の精神性の差なんかはその残滓にすぎないということだろうか、それともなにか別のものなのか。
2017/03/27

「戦争責任」を意識して云々とのことだが今ひとつ明確な像は結ばれない印象。「制度化されたセクショナリズム」という前提がとにかく全期間を覆っている。1章3節は「なぜ開戦を回避できなかったのか」と題されている。開戦は選ばれたのではなく「回避できなかった」もの。
ー総力戦のもとでの社会的変化や戦時下にも伏流したアメリカへの親近感などにも言及。/闇取引の公然化は「個人の私的エゴイズムが国家の公的タテマエを下から掘り崩していく過程」で、「「戦後民主主義」の歴史的前提」/それにしても公文書の焼却・隠匿だなんて。
2017/03/29

サクセスストーリーではない「占領と改革」の語り方を探す。/戦時期~占領期までには4つの政治潮流が存在した(国防国家派・社会国民主義派・自由主義派・反動派)。降伏があの時点になったのは、国内政治において反東条連合(後者2つの連合)が勝利したため。/協同主義(総力戦体制・ニューディール派・片山・芦田)vs自由主義(近衛上奏文・吉田・財界)→社会主義vs資本主義。/固有な社会としての50年代日本(民主主義かつ自立した多様なコミュニティの存在)
ー「占領があろうとなかろうと敗戦に対応する改革の可能性があったのではないか」という視角が強調されるが、どんな仮定を思い描けば良いのかがよくわからない。「敗戦も占領もなくともおこなわれた改革の可能性」とは・・・。そのifまで具体的に書くのはさすがに思い切り過ぎということなのか。
ー引用資料(史料原文翻刻・顔写真)が親切でわかりやすく、よみやすく感じる。個々人の主義主張をより突っ込んで知りたくもなる。
2017/03/29

戦時下、出征していく兵士たちの見送りで、エプロン姿でお世話する婦人団体「国防婦人会」。その誕生・拡大と隣組への解消まで。高射砲型募金筒やら征服への割烹着の採用やら初期の逸話はまさに地方ニュース的で微笑ましい。 /自分の経験の中にある、スポーツ少年団の試合での母親たちのお世話を連想した。多少とも系譜関係があるのか構造的な類似か。 /戦争の時代、第一のテーマは「別れ」ではないか。 /お世話されるものとするものの緊張関係。
ー大阪の「兵隊おばさん」がはじめた組織だということもあり、知識人と大衆という対比がかなり印象的。初期に大森忠重という知恵袋がいたからこその拡大だったわけで、このあたりの経緯がさらに気になる。拡大戦略の動機など。
2017/03/31
 
戦国時代までの『太平記』の読まれ方について。宣教師が日本人を理解するために『太平記』と『平家物語』を重視した(キリシタン版で出版した)という導入点。 /四章の「日本」や「日本人」という自覚が広まっていたというあたりは論証が弱いか。 /武士たちの「名を残す」という意識が『太平記』によって保証されていたというあたりはそうだろうなと感じるし、まさにそれは書籍や物語というものの社会における重要な効用なのだろうと思う。
ー対象の時代が微妙に違うとは言え、若尾政希の名前が全く出てこないのには少し驚き。 /時間認識の議論は勝俣鎮夫に依拠。「日本国」の成立と絡める論は少し強引な印象がして納得行かない。 /「現代は「先のみえない」時代」とか「グローバリズムの中でも「先のみえ」くる日が来るのだろうか」などという憂慮は悲観的な「中世化」論的。一応〈本と日本史〉シリーズなのだし、そのあたりに「本」を絡めてほしかった。
ー全然関係ないのだが、『玉泉寺過去帳』の人名一覧に「合戦諸聖霊」「落城諸聖霊」とあるのが気になる。
2017/03/31
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2017年1~2月の読書と感想

初短歌集。Twitterで作者を知ったからなのか、それとは関係ないのか、つぶやきを読んでいる気分。 自分の声を聞いているみたいでくすぐったすぎて、素直に読み進められなかった。 「だけだもの」のページはとても強烈で、そしてなんだかとても救われるような気がした。よく、よんだな、これ。 「みずうみの光の膜の治癒力を平たい石で何度もためす」 「ここにいてここにはいない読書家をここに連行するためのキス」 「木にキスをする少年の唇が木の唇の位置を定める」 「冬、僕はゆっくりひとつずつ燃やす君を離れて枯れた言葉を」
2017/01/06
 
森岡さんのエッセイ。森岡さんはあまりにも多くのものを一つの体に引き受けているような気がしてしまって、読んでいて心配になってしまう。「赦す」という行為に「冷血」という印象が抱かれる、その可能性に僕は引っかかって動けなくなる。そんなことは、大した問題ではないのかもしれないけれど。アシュリーの話が一番読んでいてしんどかった。2017/01/08
 
このタイトル、本当に届けたい相手に届くのだろうか。少々疑問。副題「男にとって「弱さ」とは何か」が内容をよく示していると思う。 読んでいて、僕はこれほどまでに「男らしさ」に縛られてきてもいなかったし、それをこんなに強烈に意識する局面は案外少なかったのだなと思った。避けてきたのも事実だが、ある程度は避けれてきたというか。それでもわかることはわかる。いずれにしろ「余裕」が大事だと思った。 第三章の「ケア」については、他の部分よりずっと射程が広いなと感じた。関連書をあたったりしてもう少し読みたい。
2017/01/12
 
非常にわかりやすく、興味深かった。男性性の複数性なんて言われてみれば当たり前な気がしたけれどすこし視界が開ける感じがする。もう少し男性性に多様さがあってほしいとごく単純に思ったが、〈ヘゲモニックな男性性〉という構造自体の解消にはどういう道筋があるのだろう。(解消されない?)そこは発想元のコンネルの著作を読まないといけないかな。 定年退職後の男性の生き方の変化についてや、オタクの二次元への欲望は異性愛主義の徹底化した反復という指摘もあった。(メモ)
2017/01/13
 
おどろいた。ドラマチックだ。 原文の誇張気味なわりに端的な表現が、文章よりもずっと漫画に相応しい感じすらする。 黄泉比良坂のシーン、特にイザナギの表情が印象的。ここはこんなにも情感あふれた場面だったのか、と。
2017/02/22
 
「わたしが忘れてしまえばすんでしまう事だった」という言葉が『この世界の片隅に』と響き合って、重い。 近くの他人の気持ちに気付けないでいたことへの後悔が溢れていて、起こる出来事そのものや言葉以上に心にしみる。
ーところで、電車やバスの中で、大事な話したり口論したりするシーンって、自分は実生活では多分避けるし、漫画で見てもすこし心がざわつくな、と思った。『この世界の片隅に』でも出てきたし、なんとなく気になる。
2017/02/22
 
とりあえず読了。マクタガートの議論まではなるほどと思っていたが、それ以降は今ひとつついていけず。このレベルの時間論は自分の問題ではなかったな、ととりあえず結論。
2017/02/26
 
ざっと読む。日本の反知性主義の集大成としての松下幸之助トヨタ角栄佐藤優。 「知能」の強調による「知性」への対抗。この意味での反知性主義はそこらじゅうに偏在している。自分の生活の中で名指すことも簡単。
2017/02/27
 
これもざっと読む。あまり読まない界隈の本だからか?色々とよくわからない。実態を直視しよう!というモチベーションは分かるのだが、タイトルも副題も帯もよくわからない。p27に「不寛容の本質」の図があるが、こんな図式が実態なわけもない。若年層の昭和への眼差しを「あこがれ」とか「羨望」とかで処理されても困る。文字組みの仕方や論旨の運び方に違和感。個々の論点はなるほどと思う。
2017/02/27