2017年3月の読書と感想

電子書籍で読了。文庫が出たら買おう。 4人のことを忘れちゃっているかと思ったけど、そんなことはなかった。奉太郎の繊細さに息をのんでしまうシーンが何度も。苦しいけれど美しい生を生きてる。表題作、いいです。「箱の中の欠落」って何か語り尽くされてない部分がある気がするんだがわからない。悔しい。
2017/03/06
 
「夢」の話、ってみんな言うけども、これはほんとは館長の話なんじゃないかな、なんて、それっぽいことを言いたくなった。彼は夢に囚われて生きてなどいなかったんじゃないかと思う。 星に願いをかけることと手を伸ばすこと。
 2017/03/07
 
二人の興福寺の僧侶の日記をもとに、大和からの視点で応仁の乱前後(大和永享の乱から明応の政変)を眺める。(帯にもどこにも「日記を元に」なんて事書いてなかった。書いてくれたらもっとはやく手に取ってたのに。) 文章自体はそれほどドラマチックな書きぶりでもないのだが、室町~戦国にこの種の面白さを感じたの初めて。Game of Thronesみたいにしてドラマ化したい。大内の上洛とか多分盛り上がる。
2017/03/08
 
幕末は成熟した伝統社会だった、という視点から、幕臣や民衆を評価し天皇薩長を批判する物語を立ち上げている。特に後者の大国主義への批判が一貫している。 幕末維新の対外危機はつくられたものだと指摘。その他、特に長州あたりの行動に対して「演技」「芝居」などとの言葉を使っていて興味深い。「あたらしい神国思想」という部分も気になるが、誰の議論だろうか。
カギカッコでの引用が多すぎて辟易する。引用元の明記のない単語単位の頻繁な引用が有効なのか疑問。
2017/03/11
 
人生論的エッセイ。佐々木さんの『未知との遭遇』に似ていると思う(一瞬だけ引用されてる)。「物語は、人生につける薬である!」とは表紙裏のキャッチだが、薬も利用の仕方によるということか。(本文中の「人間は…ストーリーを自分で不可避に合成してしまう」という言葉とは微妙にずれている。) 色んな人に読んで欲しいなぁと思う箇所が多々。 引用がたくさんあるのは個人的には嬉しいけれど、そのせいで人に薦めるのには躊躇いを抱いてしまうかも。
2017/03/11
 
ゲンロンから。 若者には分からんかも的なことを東さんが言っているので、そのつもりで読んでいたが、「ねじれ」も「身体性」も「語り口」もある程度分かるような気がする。掬えていない部分も多いのだろうけれど。 共同性を切断するために語り口=文学が必要。公共性にはどうやって辿り着くのか、多分前提知識にあたる部分が僕には足りない。「弔い」の意味の重さも掴めていない。 「敗戦後論」は初読のときにはやはり「国民」云々が気になりはしてしまった。
ー太宰の「トカトントン」「散華」などを再読してみたが、加藤さんの読解に納得できない。「トカトントン」の作家は太宰の分身なのだろうか。とてもそうは思えない。分身だとするならむしろ若者の方がそうなんじゃないのか。太宰の良い読み手ではないのでわからないけれど。(それから「散華」には(にも?)いつ「トカトントン」的虚無が押し寄せてもおかしくない脆さがある気がした。)
ー「太宰に導かれてこの文章が書かれているのだな」という感触は太宰を読み直すとたしかにある。
2017/03/12

 
ネット記事で「上の空感」について、この本が言及されていたので、読んでみたが、全編非常に面白い。肝心の「上の空」感については掴めたのか掴めてないのか微妙なところ。(使われるポップスがわからん)/ 「競争」意識、僕にはそんなにないぞ!と構えつつ読んだが、、、あるなぁ、こういうのは。。。止めたい。/ 海外交流について、OSの切り替えという話はとても面白い。海外に関して以外でもOS切り替えという意識で生きたい。/ ラストはいきなり話が深まって単婚制の相対化。有り得なくなさそう。面白そうとも思う。
ー「上の空」の魅力は、なんとなく分かるような気がするのだが、この本で言われているものはもっと繊細なやつな気がしている。 ところで、単純に読んだタイミングの問題で連想してしまうのだが、この「上の空」って加藤典洋敗戦後論』における太宰の「トカトントン」やホールデンの「ちゃらんぽらん」(サリンジャー)となんとなく似ているような。そうすると加藤のいう「文学」の男性性って感じな話になっていくけれども・・・?(アーレントの「語り口」はこれら2つと同じものなのかなぁ)
ーネオパパ論には膝をうちまくった。カフェ男も。 リゾラバ云々のところでアジアから日本に来る女性と、現地男性(日本人)とのリゾラバの可能性がちらっと言及されているけど、「あ、なるほど、、、」と思ってしまった。たしかに、なんでないんだろう。(半観光都市民の実感)/ この人は多分冷静に分析・観察しているだけで責めているつもりなんて無いんだろうけど、気を抜いて読むと責められてるみたいに感じてツラくなってしまう部分があるかも。
2017/03/12
 
『男をこじらせる前に』と併せ読み。「女子」はあまり関係ない「文化系」の話も多い。自分自身をカテゴライズする言葉で居心地のいいものを今までもったことがなかったが、この人の言う「文化系」という言葉には自分がすっぽり入ってしまうかもしれない。ちょっと衝撃的な気づきかも。/途中の自伝部分にはそのハイクラス感に圧倒される。/「黒い」(=正しくない)「文化系」には厳しいがそれも愛ゆえか。/東京を感じる。憧れるがこの世界とは距離を置きたいとも思う。
ー「背表紙ハンティングin本屋」p232という表現は頷いた。自分がしていることにうまいこと言葉と解説を与えてくれた感じがある。
2017/03/13
 
「現在のわれわれを内縛しているさまざまな「仕掛け」がつくられた時期」として自由民権運動と帝国憲法体制成立を描く。政府・民権・民衆の三つ巴。「文明」=「囲い込み」。福沢諭吉森有礼がキーパーソン。/「客分」意識や「万歳の誕生」あたりの叙述にやはり精彩がある。
2017/03/14

読みやすく、わかりやすい。/”学術書を「書く」とは、学術書を「読む」ことに他ならない。”
2017/03/15 
 
〈はじめに〉で書かれているように「ここには答えはない」。主にゴフマンとジンメルの引用で恋愛(後半はもう少し広く他者との関わり)について述べていく。/筆者の個人的な経験から出発している本らしく、後半は哲学的になっていくけれどそうなる必然性もなんとなく分かるような気がする。終盤はちょっと理想主義な印象もあるけれど前向き。/他者との「感覚的相互作用」、楽しんで生きていけたらそれは本当に本当に本当に幸せだろうな。
2017/03/20

フランスなどと異なり、日本は敗戦という「外圧」によって植民地を破棄したので、「植民地問題」を安易にしか「解決」していない。その「植民地問題」の出発点にあたるのが、この本の扱う日清戦争日露戦争期。帝国へと変化していく国と「国民」を描く。/初期議会の流れがとてもわかりやすい/第六章「民友社と平民社」も興味深かった。”日本近代最初の「戦後文学」は、戦場の前線と、都市スラムの闇底からやってきた””帝国大学で西洋文学を学んだ近代作家たちが捨て去った、江戸の民衆文化、民衆文学を再生させたことこそ、二葉亭四迷の成果”
2017/03/21

「あとがき」にある通り、かなり時事的な内容。中世人は現代人と同じくらい現実的だったんだ、という主張が多々なされるけれど、それは、現代人は中世人と同じくらい宗教的だ、という方向から検討したほうが実りがあるのではないかと感じた。中世の契約の現実的功利的側面よりも、現代の日本人の抱く「契約」という概念に潜む宗教性や神秘性の方が気になるし、「人のつながり」を捉え直すならそのほうが必要ではないのか。
延暦寺の大衆僉議について、勝俣鎮夫の先行学説を批判というかほぼ揶揄しつつ、顔を隠したり声を変えたりして決議をしたところで人ならぬ存在には変身できないだろう(”自分の鼻をつまむだけで神様になれるものだろうか”)と書いている。これは単純に演劇的感覚の欠如なのではないかと思う。大人数で集まり、目を隠して、声を変えて決議をすれば、神を信じていようがいまいが、人ならぬ存在を感じてしまうことくらいあるのではないか。
2017/03/22

Twitterで話題になっていて気になっていたので、タイミングはずれたけれど読んだ。もっと個人的なエピソードで語ってほしかった。中途半端に客観的。/わかるなぁとは思うものの、ここに描かれるほどには卑屈になる要素はなかったなと思う。スポーツさほどできなかったわけではないからだろうか。鈍感だったのかもしれない。そもそも中学からは進学校だったから小学校だけの話だけれど。
ーなんでもかんでも「勉強」に繋げすぎていて、いまひとつ説得力に欠けるなと思う。読んでいるとむしろ「スポーツできる子」の方が搾取されていそうな気がしてきてそちらが大問題じゃないかと思ったり。/最後のインタビューもなんだか能町さんの発言を先回りして解釈してしまっていてどうかなと思ってしまった。
ー四章の処方箋は同意しがたい。そこまで周囲を「敵」認定しないとやっていけないものだろうか。過酷さを軽く見ているのかもしれないが。。。スポーツは一人でなんとか上手くなろうと努力するよりも、「できる子」に教えてもらったりしつつ仲良くなったりして、上手くなろうとする過程をも使って楽になることを目指したほうが良くはないか。それは簡単ではないのはそうだろうけれど、四章に書いてある方法だって簡単ではないじゃないかと思う。
2017/03/24

「旦那衆」/「雑業層」。都市/地方。内地/植民地。男/女。政府批判はしつつも統合へと向かう「帝国」のデモクラシー。
2017/03/26

ただひたすらに政治と外交を描き抜いている。/他人事だったら、「一体全体なにがなにやら」と投げ出しもできるんだろうなと思うような軸のない時代の展開。/陸軍による「国防思想普及運動」などでの煽動の論理と実際に陸軍が目指したものとのずれにその一つの淵源をみる。五章中盤では農民や都市小市民の社会的要求を代弁しえたのは陸軍だけだったとのゾルゲの分析が強調されるでもなく紹介されている。
2017/03/27
 
「で、それが何?」とは言えないよなぁ。最初の「事件前夜」の文章が太宰みたいでこんな調子で一冊続くのか!?と思ったが次の章からは随分落ち着いた普通の文章だった。/生い立ちあたりを読むと、これだけ壮絶な子ども時代を送っていながら良くここまでまともに(と思った)育ったな!と感じてしまう。/とりあえずこの本はキズナ=糸の具現化でしかありえない。この糸が犯罪でしか生まれ得なかったことこそが残念なことなのかなと。
ー著者は77年うまれ。その父親は昭和20年(1945)鹿児島生まれ、母親は昭和23年(1948)川崎生まれ。
2017/03/27
 
再読。「いまこそ、教養とはなにかをことのはじめから考えるチャンス」/ずっと読んでいって、終章に引かれる今の学生の言「読書で人格形成するという考え方がわかりづらい」に当たるとやっぱりせつない。/自分はまさに元「教養主義奥の院」にいた経験があるわけだが、なんだかんだこの教養主義は残滓としてはかすかに残っていたように思う。むろん規範などではあり得なかったが。岩波文庫を全部読めとかいう教授もいたし、実行しようとした同級生もいた。
マルクス主義との関係や、石原慎太郎論、フランスのノルマリアンとの比較に、岩波についてなど、改めて読むと部分で取り出しても面白い話がたくさん。/メインは「戦後日本でこそ、教養文化は大衆化した」という点。
ー刻苦勉励的、上昇的、「成り上がり」的な文化になんとなく嫌悪感を感じてしまうのは、自分にそういう部分があるからなのだろうか。/70年代以後、農村と都市の生活様式にほとんど格差がなくなり、農村性が消滅していくことで刻苦勉励的エートスが崩壊していくとのことだが、今でも感じる地方・都市部それぞれの出身者の精神性の差なんかはその残滓にすぎないということだろうか、それともなにか別のものなのか。
2017/03/27

「戦争責任」を意識して云々とのことだが今ひとつ明確な像は結ばれない印象。「制度化されたセクショナリズム」という前提がとにかく全期間を覆っている。1章3節は「なぜ開戦を回避できなかったのか」と題されている。開戦は選ばれたのではなく「回避できなかった」もの。
ー総力戦のもとでの社会的変化や戦時下にも伏流したアメリカへの親近感などにも言及。/闇取引の公然化は「個人の私的エゴイズムが国家の公的タテマエを下から掘り崩していく過程」で、「「戦後民主主義」の歴史的前提」/それにしても公文書の焼却・隠匿だなんて。
2017/03/29

サクセスストーリーではない「占領と改革」の語り方を探す。/戦時期~占領期までには4つの政治潮流が存在した(国防国家派・社会国民主義派・自由主義派・反動派)。降伏があの時点になったのは、国内政治において反東条連合(後者2つの連合)が勝利したため。/協同主義(総力戦体制・ニューディール派・片山・芦田)vs自由主義(近衛上奏文・吉田・財界)→社会主義vs資本主義。/固有な社会としての50年代日本(民主主義かつ自立した多様なコミュニティの存在)
ー「占領があろうとなかろうと敗戦に対応する改革の可能性があったのではないか」という視角が強調されるが、どんな仮定を思い描けば良いのかがよくわからない。「敗戦も占領もなくともおこなわれた改革の可能性」とは・・・。そのifまで具体的に書くのはさすがに思い切り過ぎということなのか。
ー引用資料(史料原文翻刻・顔写真)が親切でわかりやすく、よみやすく感じる。個々人の主義主張をより突っ込んで知りたくもなる。
2017/03/29

戦時下、出征していく兵士たちの見送りで、エプロン姿でお世話する婦人団体「国防婦人会」。その誕生・拡大と隣組への解消まで。高射砲型募金筒やら征服への割烹着の採用やら初期の逸話はまさに地方ニュース的で微笑ましい。 /自分の経験の中にある、スポーツ少年団の試合での母親たちのお世話を連想した。多少とも系譜関係があるのか構造的な類似か。 /戦争の時代、第一のテーマは「別れ」ではないか。 /お世話されるものとするものの緊張関係。
ー大阪の「兵隊おばさん」がはじめた組織だということもあり、知識人と大衆という対比がかなり印象的。初期に大森忠重という知恵袋がいたからこその拡大だったわけで、このあたりの経緯がさらに気になる。拡大戦略の動機など。
2017/03/31
 
戦国時代までの『太平記』の読まれ方について。宣教師が日本人を理解するために『太平記』と『平家物語』を重視した(キリシタン版で出版した)という導入点。 /四章の「日本」や「日本人」という自覚が広まっていたというあたりは論証が弱いか。 /武士たちの「名を残す」という意識が『太平記』によって保証されていたというあたりはそうだろうなと感じるし、まさにそれは書籍や物語というものの社会における重要な効用なのだろうと思う。
ー対象の時代が微妙に違うとは言え、若尾政希の名前が全く出てこないのには少し驚き。 /時間認識の議論は勝俣鎮夫に依拠。「日本国」の成立と絡める論は少し強引な印象がして納得行かない。 /「現代は「先のみえない」時代」とか「グローバリズムの中でも「先のみえ」くる日が来るのだろうか」などという憂慮は悲観的な「中世化」論的。一応〈本と日本史〉シリーズなのだし、そのあたりに「本」を絡めてほしかった。
ー全然関係ないのだが、『玉泉寺過去帳』の人名一覧に「合戦諸聖霊」「落城諸聖霊」とあるのが気になる。
2017/03/31