論文感想(広瀬 和雄. 2009. 「古墳時代像再構築のための考察--前方後円墳時代は律令国家の前史か」)

広瀬 和雄. 2009. 「古墳時代像再構築のための考察--前方後円墳時代は律令国家の前史か」『国立歴史民俗博物館研究報告』150 を読んだ。

-長い。100p以上の大作。なんだこれ。考古学研究の現状批判に費やされる部分がとても多い。
記紀などの文献に安易に頼っていて、考古学が自分の方法論で独自の歴史像を描けていない。文献による先見なしでどこまで言えるのかを省みなければ。というのが1点。
「記録保存」のための発掘調査の増加と「ポストモダンふうの思潮」によって地域社会や多様性ばかりが言われて体系化が進んでいない。というのが一点。

-「前方後円墳とは何か」と「前方後円墳を媒介した政治とは何か」を峻別したうえで(文献による先見を排除して)論じる必要がある。ということで、広瀬さんの見通しは、
前方後円墳は〈共通性と階層性を見せる墳墓〉。
その祭祀は〈亡き首長がカミと化して共同体を守護するという共同幻想〉を内容とする。
大陸からの霊肉分離観が入ってくることで、〈共同性が属性であった前方後円墳に個人性が胚胎した〉ので、前方後円墳祭祀は形骸化していく。

-また、古墳時代の列島の政治的結合体を律令国家の前段階として観るのでは、記紀の影響下から脱していないことになると批判して、独自の時代として評価すべきという。そして、〈軍事権・外交権・イデオロギー的共通性をそなえ、大和政権(大和の有力首長層)に運営された首長層の利益共同体を前方後円墳国家〉とよぶ。

-〈考古学研究は有効なのか〉との疑義が出されているので、その情況と切り結ぶべきだが、そうなっていないと批判。
「あたりまえのことだが、〈問いのないところに解はない〉。資料の増加が研究の進展をうながすのは、所詮は幻想にすぎない。「古墳時代とはどういう時代か」といった問いがなければ、そして概念化と体系化を視野におさめた方法論の開拓がなければ、こうした情況はいつまでも克服されない。」(「おわりに」から引用。)