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自分用メモ・ノート

2017年6月の読書と感想

都市と暴動の民衆史 東京・1905-1923年都市と暴動の民衆史 東京・1905-1923年感想

日比谷焼打事件から米騒動関東大震災での朝鮮人虐殺まで。都市暴動に参加する下層男性労働者たちの人的ネットワーク(親分子分関係)や文化(「男らしさ」の論理)などを考察する四~六章が面白い。/「男らしさ」なんて身近に感じられるものでありすぎてとてもこんな冷静に分析なんかできんな、、、と思った。が、その分析の内容に意外性がないようにも思うので、僕の読み方か藤野さんの書き方かが現代の文化を仮託しすぎているんじゃないのか、という思いも(感覚的には)抱く。

六章には「下層社会のなかの高学歴者」なんて項目もあり、紹介される事例がなんとも。新聞配達をしながら勉学に励もうとするが、そんな体力はなく、男性労働者的な「男らしさ」へ吸い寄せられていく。。。/安丸良夫の通俗道徳論への挑戦として、通俗道徳に対抗する実践=遊蕩・任侠・「男らしさ」を描き出すということのよう。まだまだその世界に生きている人も多そうであり、フィクションでもよく描かれるものでもあり、目新しさという感じはないけれど、だからこそか射程はかなり広いような気もする。

都市暴動に対する政治集団の関わりの部分は、説得力があった。いずれの暴動も政治集団の企画した屋外集会がきっかけになっているが、その開催意図と主催団体が変化していく。決議主体としての民衆動員自体に主眼が置かれた桂園期(暴動化は意図せず)、暴動化の迫力を知って(特に議会に基盤のない社会主義団体・学生青年団体・黒龍会らが)倒閣のために利用しようとする大正初年、民衆が政治主体になる権利を要求するためにも暴動を払拭した屋外集会を開こうとする普選運動期。
読了日:06月01日 著者:藤野 裕子


前方後円墳の世界 (岩波新書)前方後円墳の世界 (岩波新書)感想

古墳から古墳時代を語る、という当たり前のように見えて徹底するのは難しいだろうことを徹底している新書。ですます調のやさしい語りだが、専門用語の使用に躊躇はない。/決してわかりやすい古墳時代概説書だとは思わないが、一つ一つの古墳への解説も懇切丁寧なので、読み込んで、さらに実際に古墳を訪れたりもすれば相当楽しめそうな気はする。/先行研究批判と独自の主張に費やされるページも少なくはないので、そこも楽しめると楽しい。

現代と異質な古墳が地域の中にあることで現代を振り返らせてくれる。「日常性の中に、どれだけ非日常の時-空間をもつかが、これからの街づくりの鍵になりそうです。」「…想像力を涵養しうる歴史拠点が大切なのです。」という「はじめに」の提言には強く同意する。たしかに現代芸術作品よりも古墳があったほうが豊かだよなぁ、と思った。(二者択一する必要はないが)

先に同じ広瀬さんの大部な論文「古墳時代像再構築のための考察--前方後円墳時代は律令国家の前史か」(『国立歴史民俗博物館研究報告』150)を読んでいた。構成も語られる言葉も似ていたので、ざっと流し読みしたというのが正直なところ。
読了日:06月05日 著者:広瀬 和雄


古代国家はいつ成立したか (岩波新書)古代国家はいつ成立したか (岩波新書)感想

弥生社会の「倭国の乱」から卑弥呼の時代、そして前方後円墳の時代とその終焉、藤原京まで。/90年代に初期国家論を提唱した古墳時代研究のキーパーソンによる啓蒙書。時代観がはっきり統一されているし、表現もわかりやすいので、かなり良いと思う。ただ偏りを避けて、議論のある部分は様々な説を併記するので、そのために少々煩雑なところはある。/なお、六章はまるごと国家論に割かれている。/「あとがきに代えて」は簡単な自伝。戦争体験と小林行雄・クラッセン・黒田俊雄。

この本のちょうど一年前に同じ岩波新書で出ている広瀬和雄さんの『前方後円墳の世界』とは扱っている対象が近いのに、随分描かれ方が違うので併読すると面白い。(年齢も5歳違いと近い)/海外の文化人類学の成果を取り入れて初期国家を論じたのが、都出さんの重要な功績なのだろうと思うが、1978のクラッセン以降の海外文献について言及がないのは少し気になるところ。海外でもそれ以上の議論の深化がないのだろうか?
読了日:06月05日 著者:都出 比呂志


歴史学のアクチュアリティ歴史学のアクチュアリティ感想


歴史学は現実とどう向き合うか。大会報告・コメントを元にした8論文と、別に行われた3つの討議。/報告に対するコメント側の浅田論文(若手研究者問題)・藤野論文(ジェンダー)・松沢論文(史学史)は、研究者(とその共同体)自身の足場を正面切って問題にした自己言及的なもので、興味深かった。/討議も、とくに社会主義新自由主義を問題にしている討議2の後半や大学・大学院での歴史教育歴史学教育を論じる討議3は気になる発言が多い。

岸本論文は「歴史物語り論」の理解がずれている気がするのだが、どうなのだろう。そうとしても論旨に大きな変更はないだろうが。/討議はいずれも「~と現代歴史学」とか「~と歴史学の~」とか題されているが、どうも「歴史学研究会」の話題ばかりな部分もある。なんで躊躇いもなく「歴史学」と題しているのかよくわからない印象がのこる。松沢論文冒頭はそういうことへのコメントではないのか、違うのか。確かに議論されている内容自体は歴研だけに限定されるような問題ではないけれども。

討議3の気になる発言。(源川)「カーの本は、…要するに先の見える明るい時代の歴史学」なので現代の学生には響かないのかも。/(安村)「史学科といった枠組みはいずれ廃止されるかもしれない、という悲観的な予想」/(戸邉)「原史料に行く手前で、もっとやるべき私たちの訓練というのはある。」/(戸邉)「ある種の倫理性みたいなものが、普段の生活を通じて、史料を読むときの基準になっている人がいる…いまの倫理性というか感受性の質は、一般に女性の方が高い」/(大門)「史料の読解こそ歴史学の踏みとどまる場所」
読了日:06月06日 著者: 


重野安繹と久米邦武―「正史」を夢みた歴史家 (日本史リブレット人)重野安繹と久米邦武―「正史」を夢みた歴史家 (日本史リブレット人)感想


日本近代歴史学の草創期を担う第一世代の歴史家二人。幕末生まれ12歳違い。どちらもはじめから歴史家を志して歴史家になったのではなく、「業務」のなかで歴史研究を行いその意味を発見していった。。。あっさりしていて読みやすい。/漢学者が歴史学者へ転身する実例。次代の「官学アカデミズム」を担う三上・黒板は帝大出身なので、重野・久米とは履歴が大きく異なる。二人とも世間への発信を晩年まで続けるのは興味深いなぁと思う。

2つの人物を取り上げて対比していくのは面白いし、松沢さんはどうもそれが得意なような気がするのだが、これに関しては重野と三上とかにした方が面白くなったんじゃないかという気も。/中盤、歴史認識の話や、歴史の有用性の話、そして久米事件は歴史学について考えるにあたって簡単に通り過ぎることのできない問題だと思う。しかし神道家と後進の歴史家の両側から攻撃されて否定される久米の悲しさ。。。
読了日:06月06日 著者:松沢 裕作


明治時代の歴史学界―三上参次懐旧談明治時代の歴史学界―三上参次懐旧談感想
三上参次の回顧録。三上は、近代において歴史学を志して歴史学者になった最初の世代の一人だろう。あるいは大学出の歴史学者第一世代というか。/1936~39年に語られたものの筆記。1980年代に『日本歴史』に載せられたものを1991年に出版したらしい。内容は、小学校時代から明治30年代あたりまで(その先も語られる予定だったのだろうが、本人が亡くなってしまったということらしい)。最初期のアカデミズム史学の雰囲気が伝わってくる。/語られた時代が時代なので身構えてしまうが、場の雰囲気は終始和やか。

上の世代の重野・久米が国史編纂を目指して史料を集めつつその史料で論文を書いて自分の手柄にしてしまって批判されたということで、三上は史料編纂掛での仕事の合間には外で論文も書籍も出さないのを徹底していたらしい。史料蒐集と史料編纂が主要な事績という趣き(『江戸時代史』は死後の出版)/華族から系図作成を頼まれることが随分とあったようで、これを見ると江戸時代初期の儒者なんかと社会的な位置づけがそう変わらないとも言えるな、と思う。

姫路の中学で英語原書の授業を受けているというのはさすがである。/大学での国史専攻についてはそう大層な理由があったわけでも無いようで、『三国志』とか『八犬伝』とかの影響と言っている。/久米の筆禍事件への直接のコメントはない。/帝大の同級の大西祝を天才天才と持ち上げること頻りなのも興味深い。/テニスをしすぎて留年を重ねる同郷の後輩の話とかも出てくる。/全然関係ないが、途中に載っている集合写真に映る三浦周行のシルエットが妙にかっこよくてびっくりしてしまった。
読了日:06月09日 著者:三上 参次


論文作成デザイン―テーマの発見から研究の構築へ論文作成デザイン―テーマの発見から研究の構築へ感想


ただの論文作成指南本かと思いきや、全くそれに留まらない本。とてもおもしろい。論文・研究は対話活動である。という姿勢で一貫。生き方としての「研究者」の提唱(こういう言い方はされていないが)という感じもある。また、論文作成を通じて、公共性について語っていると言っても良いように思う。

「テーマに関する他者の有無」「「知りたい、わかりたい、調べたい」はダメ」「〈私〉をくぐらせる」「情報から自由になることが1対1対応の人間関係を持つことにつながる」「仮説は変容する」「偶然をテーマ化」「自己内の思考と表現の往還関係によって、この思考の「言いたいこと」が次第に見えてくる」(=「空飛ぶ絨毯」感覚)「生活や仕事と研究を一つに統合して考えるという視点がきわめて重要」

「完成品としてしか文章が読めないというところに、わたしたちの「読むこと」の問題点が隠されているとも言える」とか「原稿はいつも下書きかメモでいいのです」とも。論文も対話の過程であるから、完成品である必要は必ずしもないということだろう。
読了日:06月09日 著者:細川 英雄