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自分用メモ・ノート

2017年11月の読書と感想

自由民権運動――〈デモクラシー〉の夢と挫折 (岩波新書)自由民権運動――〈デモクラシー〉の夢と挫折 (岩波新書)感想

自由民権運動とは、①近世身分制社会に変わる新しい社会(「ポスト身分制社会」)を、自分たちの手でつくり出そうとする運動だった。②「戊辰戦後デモクラシー」だった。③多様な運動と構想が存在したなかでおこった。/②は三谷太一郎の「戦後デモクラシー」論の援用。戦争とその後の改革によって身分制が壊れ、新しい秩序が求められていく。自由党は「私立国会論」など「自分たちの手で」に運動の力点があったので、民衆の「◯◯のメンバーになると、来るべき社会でよりよい暮らしが約束される」幻想(「参加=解放」型幻想)の受け皿となった。

主に資金不足などにより、「自分たちの手で」社会秩序を、新しい舞台をつくることができず、国に先回りされてしまったので、自由民権運動は、おわる。自由党は解散し、一方で自由党に幻想を託し続ける人びとは激化事件へ。。
読了日:11月01日 著者:松沢 裕作


知覚経験の生態学: 哲学へのエコロジカル・アプローチ知覚経験の生態学: 哲学へのエコロジカル・アプローチ感想
やっと読み終わった。東大に出された博論が元になった本。いわゆるアフォーダンス理論であるところのエコロジカル・アプローチが持つ哲学的意義・含意を展開する。/第一部では当アプローチの概要を解説。アフォーダンス関連の本では一番詳細で説得的に思う。原典の訳も丁寧に提示されて言葉の定義もつかみやすい。/第二部第三部が哲学への応用。アフォーダンスの実在性や、社会的アフォーダンス、言語とアフォーダンスの関係など個人的に不明確だった部分がこれでかなり整理された。

第五章、アフォーダンスの実在性について。これまで出されている解釈を4つに分類(関係解釈・傾向性解釈・資源解釈・保守派)し、そのうち「資源解釈」(リードによる)を採る。利用も発見もされていなくとも石油は燃料資源であるように、アフォーダンスもその利用に先行して存在する(アフォーダンスは利用される時に創造されるのではない)。むしろ動物の行動がアフォーダンスに依存して進化してきたのだ。

第五章にはさらに「郵便ポストのアフォーダンス」(社会的アフォーダンス)の議論もある。郵便ポストを見ることからは、手紙を入れたら人に届く、というアフォーダンスを知覚できない。しかし、郵便を投函するという一連の出来事配列を知覚することで、そのアフォーダンスは学ぶことができる。さらにそのアフォーダンスは言葉や概念情報によって「間接知覚」されることもありうるのだ。という論。/人の知識の有り様に踏み込んでいると思うが、アフォーダンスという言葉・概念をここで使うことによってどう射程が広がっているのかがまだ捉えきれない

六章では、人間による環境の「改変」について。環境を改変することで、アフォーダンスを「創造」することはできる。郵便ポストも社会によって創造されたアフォーダンスを有す。/道具は主体の取り組む問題や状況を変換する(頭のなかで計算→文字を書くことによる筆算)。/言語もまた環境を改変し、問題を変換する道具である。言語などの「表象」は知覚と行為をガイドする「二階の環境資源」「間接知覚」である。

↑ある程度理解し興味深かった部分をメモ。くみきれていない部分も多そうだ。/八章・九章では「知覚の倫理学」の必要が言われる。環境のなかで生きていることを強調したうえで、環境は「改変」されるともいうのだから、いかなる環境をこれから整備していくか倫理的に問うようになるのは当然というべきか。なんでも自分の関心に引きつけるのはあれではあるが、儒者の風俗論が思い出されてならない。
読了日:11月01日 著者:染谷 昌義


日本古典書誌学総説日本古典書誌学総説感想

ざっと流し読み。近世末までの書籍に関する書誌学について広く述べたもの。かなり便利な印象。1991年。入門としては堀川さんの書誌学入門の方が図も多くとっつきやすい。紙の材質や加工についてや、刊本の出版社の情報についてはこちらのほうがわかりやすいか。
読了日:11月02日 著者:藤井 隆


江戸時代の医学―名医たちの三〇〇年江戸時代の医学―名医たちの三〇〇年感想

とばし読み。「江戸時代を生きた医師の思想と医業から、江戸時代の医学を概括的に描く」。キーは「在来知」。曲直瀬流から近代医学まで。最後は浅田宗伯と関寛斎。情報量がとても多い。/曲直瀬の仏儒との関連は気になる。老人門・小児門をつくったのは曲直瀬道三らしい。/安藤昌益を精神病理学者として捉えて紹介しているのも刺激的。
読了日:11月05日 著者:青木 歳幸


日本の弓術 (岩波文庫)日本の弓術 (岩波文庫)感想

古本まつりにて。1920年代、仙台でドイツ人が弓道を習うこと五年間。武士道にまで話を広げて若干の日本人礼賛臭が出る後半はさておき、ヘリゲルが弓と向き合う過程はとても興味深く感動的。弓の「無心」の精神的境地はある意味で確かに学んで学び取れるものなのだ、というもはや我々には肌では感じられるものではない確信が得られる。
読了日:11月06日 著者:オイゲン ヘリゲル


戦国大名と読書戦国大名と読書感想

高校の頃にはよく触れていた小和田さんの文章を読むのは久しぶり。戦国時代の武将の読書・学問の様相が大略つかめる。/実語教全文引用には驚いた笑。/玉木吉保 の『身自鏡』という史料は知らなかった。雪斎の駿河版や足利学校、畠山義総についてなどさらに知りたい事項を整理できたので良い読書。/こういう話題だと織田はあまり出てこないのも興味深い。三好あたりなんかはもっと出てきてしかるべきではないかと思ったがどうなのだろうか。六角・斎藤なども。

秀次が足利学校から本を持ち出したという話や畠山義総の話など、武将の本の調達の仕方も面白い。
読了日:11月08日 著者:小和田 哲男


三好一族と織田信長 「天下」をめぐる覇権戦争 (中世武士選書シリーズ第31巻)三好一族と織田信長 「天下」をめぐる覇権戦争 (中世武士選書シリーズ第31巻)感想

織田信長の先例としての三好長慶(とその先例細川氏綱)。長慶は将軍義輝を追放し、代わりの将軍を擁立しなかった(そのまま改元までする)。長慶没後、継承した三好義継は足利将軍を擁立することを放棄し、義輝を殺害する(易姓革命を意図)。このような足利将軍中心秩序の相対化の先に信長・秀吉・家康がある。/信長の上洛も長慶死後の混乱した政治状況の中に位置づけられ、義昭のもとに三好義継・松永久秀織田信長が連合していたとしている。/従来知っていた政治史から随分変化・精緻化していて驚いた。

葬礼の際の寺社秩序や、改元などでの天皇との関わり、近衛など公家との婚姻関係なども指摘されている。本願寺・畠山の記述が薄く、三好中心で近畿政治史を語りすぎている印象は残る。
読了日:11月08日 著者:天野忠幸


大人のための社会科 -- 未来を語るために大人のための社会科 -- 未来を語るために感想

「いまの社会科学のオルタナティブ」を提示する、という大目標。not反知性主義、notタコツボ化。いま現在が時代の転換点だという確信を踏まえつつ、四人の専門家が経済・政治・社会・未来(過去)をわかりやすく語る。/様々な知見が雑駁な形ではなく絡み合った形で展開されている。二章の「勤労国家」、八章の「信頼社会」などが興味深かった。「私たち」を取り戻すという掛け声に素直に賛成はできないなと思うが、社会の問題が個の問題に分解されてしまっているという現状認識には異論がない。

五章「運動」。一定の時代性を帯びた「正統性」を軸にして個人個人が結びつくことで、「私たち」が生まれ、「運動」となる。現代日本は正統性のゆらぎのなかにあって、小さく多様な「私たち」が生まれてはいるが、それだけでは「社会」というより大きな「私たち」は可能にならない。(シールズは「自由と民主主義」という正統性を掲げたが、それらは個別の運動の蓄積を持つマイノリティらからすれば正統性に欠けるものにも見えただろう。)

民主主義の中では「正統性」の歴史こそが核心的な思想史となるのかもしれない。/しかし、より大きな「私たち」は絶対必要なのだろうか。
読了日:11月27日 著者:井手 英策,宇野 重規,坂井 豊貴,松沢 裕作


うしろめたさの人類学うしろめたさの人類学感想
装訂も文体もおしゃれな一冊。しかし、浅くない。面白い。/「構築人類学」の提言。経済(交換)と非経済(贈与)を線引する「きまり」をずらして「再構築」していこう、と。ある行為が、交換か贈与かは、日々の営みの中でかえることができる。/贈与論の立場から、公平さのバランスを取り戻すことを、「うしろめたさの倫理」に生きることを唱える。贈与がどんな結果を生むのかは事前に知ることができない。ただ、「つながり」は生まれる。

「お金と商品の交換にくらべ、贈り物のやりとりには、読みとるべき思いや感情がいろいろあって、神経を使う。誰もが、恋人や友人へのプレゼントやお祝いになにを贈れば喜んでもらえるか、相手のことを思い浮かべながら頭を悩ませた経験があるだろう。レジの前で店員にお金をどう渡せばよいか悩む人はいない。交換にくらべると、贈与は大変だ。…」子供の頃、店員とどう接せばいいのか分からなくて、ものを買うのが苦手だったのを思い出した。あるいはレジ打ちを初めてやってうまくできなかったこととか。「交換のモード」に馴染めなかったんだな。

いまではスムーズに店でやり取りできるが、そうなり始めた当初、どうも店員を人として扱っていないような気がして妙に気に病んでいた時期があった。交換と贈与の切り替えがうまくできるようになるというのはどういうことなのだろう。エチオピアの人たちはこの切り替えがうまいわけではなくて、線引の仕方がぼくらの社会とは違うということなんだろうな。
読了日:11月29日 著者:松村圭一郎


町村合併から生まれた日本近代 明治の経験 (講談社選書メチエ)町村合併から生まれた日本近代 明治の経験 (講談社選書メチエ)感想

無境界的な市場経済と境界的な国家権力の相互依存が「近代社会」。それは「市制町村制」・町村合併によって生まれた。それ以前の近世の社会は、職能的な利害の共有によってうまれた小共同体が織りなす「モザイク状」の社会だった。その社会での村役人の負担の重さから新しいシステムが求められていく。/近世と近代の断絶の大きさの強調に説得力がある。市場と国家の相互依存、という指摘は新しいものとはいえないのだろうが、その両者の進展が近代日本において軌を一にしていることを実証しているところにはやはり説得力がある。

「社会全体」の利益の主張が一部住民の利益を抑圧することがある、というのに異論はないが、近世において類似のことが起こっていないと言い切れるのか。/「利害共有の切実さ」が村から失われていく。のちには企業がそれに代わっていくのではないのかとの印象を抱くが果たして。/無境界的な市場が我々にとって「切実な意味を持つネットワーク」であるのは、それがないと「やっていけない」という意味においてはそうだとして、その「切実」さは近世の職能的利害共有と同じ言葉で語っていいものなのかには疑問が残る。
読了日:11月29日 著者:松沢 裕作


自由民権 (岩波新書 黄版 152)自由民権 (岩波新書 黄版 152)感想

1981刊。自由民権百年にあたり、現代的な視点から自由民権運動の価値と弱点を熱く述べたもの。/自由民権運動は文化革命であった。民権結社は「全生活結社」であり、学習も相互扶助も愉楽も含みこんだもの。/自由党は革命的な大衆政党であって、戦後の自由党の元祖などではない。/民権家は公権を重視し、私権を軽視した。集団としての公権獲得のためには私権は犠牲にされても仕方がないという志士仁人型意識。これが民権運動が国権主義に敗れた一つの理由。

欽定憲法こそ多数の私擬憲法を無視した「押しつけ」である。戦後の新憲法には自由民権運動期の私擬憲法の思想が流れ込んでおり、なにより国民の支持がある以上正当性はある。新憲法においては、正当性をもたない旧権力が憲法を「押しつけ」られたのであって日本人民が「押しつけ」られたわけではない。/激化事件とは抵抗権の行使事件であった。/自由民権運動の栄光は”無名の人民”にこそ捧げられるべき。自由民権思想は近代社会思潮の源流。その重要な”底辺民衆の抵抗思想の伏流”は水俣の被害民に流れ込んでいる。
読了日:11月29日 著者:色川 大吉