diary

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自分用メモ・ノート

2018年1月の読書と感想

2018/01/03

年明け一冊目。初心というか高校生に返って漢文法基礎。受験がちょうどおわってからくらいに出たはず。結局買っただけで読んでいなかった。/受験では漢文はほとんど出なかったので、初歩の初歩しか勉強はせず。大学に入ってからも基礎から学びなおすことなく、なんとなくで漢文を読んできたので、改めてこういうものを読むと知らない知識も多くてぎょっとする。/参考書として丁寧に読み込めば勉強になるだろうが、文体が読みやすいのでさらさらと読んだ。漢文をある程度読み慣れてから読むと色々発見があって良いと思う。

日本人が西洋語を学ぶ時、話すよりも読む方が得意になりがちなのは訓読のせいではないか。とか、漢文を日本語にして読む事の真相は、漢文に欠けている助詞・助動詞・活用を補うことだ。とかの洞察もあり、読み物として楽しめる部分も多い。/基本的な姿勢は「漢文の力というのは、つまるところ、総合的な国語力に依る」というもの。/「者」の解説で、「愛者」「所愛」という能動・受動の対比を使っていて興味深かった。

戦前に育った人が、戦後育ちの人との最大の違いを、音楽に対する感性だ、という例はよくあるが、この本でも余談的にそれが言われている。

2018/01/03

おそらく最新の朱子学入門書。明大での一般教養講義を基にしたものとのこと。筆者は『朱子語類』訳注作成をしている垣内さん(早大出身なので土田健次郎さんのもとで学んだのかな)。/朱熹自身の思想と朱子学を分けたうえで、朱熹の思想を中心に、朱子学陽明学・日本の朱子学なども解説。言葉はわかりやすいが、朱子学タームはそのままなのでちゃんと入門できそう。/冒頭「朱子学とは、ひと言で言えば、心の問題を解決し、より心安らかに生きるための思想である」そのために理想的人間の理性を持ち出す。/現代目線から朱子学に批判的でもある。

朱子学が「工夫」(≒努力)の哲学だということが説明されており、とても腑に落ちた。/「居敬」について、大切な場面での緊張感を保つことだ、と解説。言うなれば、常に本番を生きろ、みたいなものか。舞台人と朱子学が繋がる例を知らないがあるのだろうか。ありそう。/朱熹の人となりなどにも豊富な言及がある。朱熹自身は聖人にはならず努力し続けた。おわりに、では朱子学批判の可能性としてその朱熹自身のバランス感覚や、安住しなさなどが言われている。一方で聖人への信仰が理性の暴走を歯止めしたともされ、まさに「勉強の哲学」感がある。

朱子学批判の可能性は二つ挙げられており、一つは朱熹だが、もう一つは日本の「無思想」にある、としている。これは首を傾げた。「似合わぬ「思想」で硬直した日本人朱子学者を、「道学先生」と揶揄できた先人の感覚」を思い出せと言う。それは無節操や無責任ではなく、「研ぎ澄まされたバランス感覚の謂」だとのことだが、あやうい反知性主義に聞こえる。「思想」を「思想」で批判する難しさの問題への答えではあるが、慎重さが足りないと感じる。/また「理」の根拠の問題は結局「説得力」の問題にすぎないという相対主義もいわれている。

 

2018/01/08

当事者研究の研究』から。重複する部分も多いのでさっと読んだ。/刺激を大量にばらばらに受け取ってしまって「私」がほどけてしまいがち(つながらない身体)な綾屋さんと、身体がこわばりがち(つながりすぎな身体)で外界の情報を得にくい熊谷さんの当事者研究。そして、「私」を立ち上げるのに必要な条件はなにか、他者とつながるための条件はなにか。/現代社会を生きる上でとても役に立つ本だと思う。多くの人に読んで欲しい。

「私」を立ち上げるのに必要な条件は、身体と外界の安定と、体験に言葉や物語を与える「構成的体制」。「構成的体制」(=所属するコミュニティの言語、社会制度、信念や価値観)は文化人類学者の大村敬一より。そこでは、「構成的体制」と「個人の日常実践」の相互循環が大事。/「つながりの作法」は、①世界や自己のイメージの共有②実験的日常の共有(回復とは更新)③暫定的な「等身大の自分」の共有(変えられない部分・変えられる部分は変化する)④「二重性と偶然性」で共感する(横の笑い、逸脱も織り込み済み)

「誰にも言えない」規範の向こうに、「私には話さねばならない責任がある」という規範がある。

 

2018/01/09

埼玉比企郡の杉山城。それが築かれた戦国時代のことを論じつつ、それが論じられた2000年代~の学界様相についても饒舌。縄張り研究、考古学、歴史学が斬り結ぶポイントとしての「杉山城問題」。論争の語り方がドラマチックで読みやすい。これを高校生の頃に読みたかった。/両上杉対立のもとでの山内上杉氏築城or北条氏築城or織豊系城郭。西股さんは北条氏説。/「過去における人の営みを考える学問」としての縄張り研究。文化財行政などしたたかに利用して自由に学問を、という人文科学称揚でもある。

長尾景春の乱を契機に関東では城の持つ性格が大きく変化した(松岡進のいう「陣から城へ」、戦術的築城=純然たる戦闘施設としての城)。戦国前期の城から、柏原城を経由して杉山城へ。/軍事には普遍性がある、という信頼から、当時の言説などにはあまり言及もせずに縄張りに向き合うのは、とても魅力的で美しさすら感じる。

2018/01/10

いまさらながら通読。とりあえず『大学』を。/四書の一つにして第一。もとは『礼記』の一部だったのを朱熹が抜き出したもの。岩波文庫版は朱熹以前の古義を中心に解説(清や江戸期の考証も活用)。先に金谷の解説があって、本文・注釈・訳のあと、訳のみの朱熹の『大学章句』。/内容は、三綱領(明明徳・親民・止至善)と八条目(格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国平・天下)の体系だった議論。解説だけでもほとんど内容自体は把握できるように思う。ただ、本文の文体のリズムなんかは読んでみないとやはりわからないところ。

「修己治人」の教えである儒教思想を、「最も端的に、しかも組織的に、簡潔平明な文章で表現した書物」であり、「儒教思想の概要をとらえるのに最も手ごろな入門書」。/『書経』『詩経』からの引用や孔子の言の引用が多い。古典がすでに引用まみれだという点が非常に儒教らしい気がする。/主張は『論語』『孟子』『荀子』と重なる。「大学」という言葉とその含意について考えると、成立は前漢武帝の大学設置ころかと推定(解説にて)。

2018/01/10

儒教概論」講義向けにつくったとのこと。入門より概論という題の方がよほど内容に相応しい。やさしい入門書ではない。概論じゃ読者が減るだろうが。/「儒教儒教たる所以としてなるべく安定的に取り出せる要素を軸にして記述した」。儒教言説が非常に幅広いものだと強調しつつ、孔子~現代の儒教を全部ひっくるめてトピックごとに解説していくスタイル。儒教道徳・天の意味・世界観・儒教的人格・経書や礼・社会観など。最後に日本儒教と現代における儒教について。/ここまで広く儒教を論じたものは他になさそう。朝鮮などへの言及は少なめ。

あるトピックについて、時代・場所をこえて特徴的な言説を引っ張ってくるので、ある程度背景知識をもっていないとついていき辛い部分があるだろうと思う。/中国儒家・江戸の儒者・近現代日本中国の学者・新儒家まで目配りがとても広い。現代の言説にも多く触れている点、とても価値が高いと思う。儒教の幅は広く、現代に有益なものが全くないわけがなかろうという姿勢だが、筆者の意見ばかり述べられるわけではなく、どこに現代的意義が見出されがちか、などを広く紹介している。

興味を引く点は多い/自己修養のモデル・経験集積としての孔子朱熹ほかの儒者たちという捉え方/心の働きの画一性をもとめがち(万人が聖人になりうる・「一物一理」)な儒教は自由思想とは相容れない/時代的空間的広がりや言説の幅の根拠としての経書の存在(師の認可を必要としない)。礼の「類型の共有」と「内容の分岐」/家族中心主義と社会重視の楕円=忠と孝の緊張関係/儒教と芸術とのつながりの希薄さ/抽象的思考の体系を提供したものとして、東アジアでの朱熹の存在の重要性

 

2018/01/11

図書館で見かけて。/大学生協の「全国教職員セミナーin岡山」というイベントでのシンポをまとめたもの。学生に読書を薦める「リーディングリスト運動」というのをするのでその理論武装に向けて、とのこと。/アメリカの大学教育でのリーディングテクニック、青学の初年次教育実践でのリーディングの重要性、ラーニングコモンズと学生の「読書」へのイメージについてなど。/杉谷さんの青学での実践の話は興味深かった。また学生にとって「読書」といえば小説で教職員とはその時点で齟齬があるという指摘も。

 

2018/01/12

再読。早大の土田さんによる江戸思想史。専門は朱熹だが、卒論は仁斎であった由。/朱子学が江戸の思想界になにをもたらしたのか、それによってどんな展開がおこったのか。/朱熹の思想の統一性・体系性・その方法論を非常に高く評価し、それこそが東アジアに思想表現の場を提供したとする。闇斎・仁斎・徂徠を中心に、朱子学に胚胎していた可能性をいかに江戸思想が表現したのかを言説を比較しつつ論じる。/議論の場(朱子学という基礎教養)を共有した思想が並列する状況にこそ日本の西欧近代化の基盤があった。

丸山眞男的な江戸思想史の図式と島田虔次の李贄評価をどちらも退けて、ある一つの思想が西欧近代的な思想に接続しやすいという構図自体を否定。/朝鮮・中国と異なる日本の特殊性として、科挙の不在などによって一学派が思想を独占しなかったこと、朱子学的なタームが抽象的に受け取られがちであること、集団主義的風土、自力のみで完全な存在となりうることという思想の希薄さ、政治状況的に正統論が皇統論と化しやすいこと、などが挙げられている。

闇斎・仁斎などについては筆者自身の論文をもとにしていて記述が厚い。それに比べれば、江戸後期・徂徠以後に関しては薄め。/幕末に関しては岡田武彦をひき、その研究や視角の重要さを言っている。明末と幕末の世紀末的文化の類似。

 

 2018/01/18

再読。朱子学陽明学、ふたつの思想の世界観を、客観的知識としてではなくリアルに体得できるような叙述をめざした入門書。朱子学は変革と躍動の思想である、「鬼神」を理解することが一番重要である、などなど。/熱い筆致。西洋的現代的な思想の世界観との照らし合わせもされ、現役の思想として儒学に触れたいならよい入門書ではないか。環世界、心の哲学大森荘蔵アフォーダンスデカルトベルクソンヘーゲルなどに言及がある。/2章末の読書案内が特にアツい。日本の朱子学陽明学研究を語っている。ここだけでも読む価値あり。

1章はじめがいまひとつわからなかった。ここで男とか女とかいうものをだす必要があるのだろうか。3章、朱子学性善説についてフロントガラスの喩えが出されている。これはわかりやすい。4章では体用の論理に関して低気圧の例がある。6章では大塩中斎に従って「空空如」の解釈史を辿る。儒家的な思考のありさまの一片がわかりやすい。/7,8章は現代社会への応用。西洋の「霊魂=精神」と「鬼神」を比較、「鬼神的社会」を構想する。また、自我と生命のどちらが先かという議論も。朱子学的世界観では生命があって自我がある。

 

2018/01/19

日本書紀~の六国史が、どのように書かれているのか、編纂事業はどう進んだのか、そしてどう読まれたのか。一つずつについて丁寧に解説、それぞれ個性があることがよくわかる。/天武・桓武・文徳・宇多などの君主、摂関確立以前の藤原氏文章博士の系譜(春澄善縄・都良香・菅原道真)らをめぐる歴史の記述でもある。/勅撰国史以降は、日記と物語に言及がある。六国史受容については、大江氏・卜部氏・一条兼良三条西実隆が重要。羅山や『大日本史』に言及はあるが、『本朝通鑑』には触れない。

 

2018/01/24

1965年の著作。近世史研究でもっとも遅れているのは政治史である!という「まえがき」でのコメントに時代を感じる。江戸幕府の老中・若年寄クラスの人物に焦点をあてた政治史。綱吉登場(酒井忠清失脚)まで。/武功派の時代から官僚政治へ。というのが大枠の見取り図。今でもウィキだとか一般のムック本とかで言われる類の構図が語られている印象。当然固有名詞が氾濫しているが、政治的な事件の位置づけなどもしっかりされているので、江戸初期の政治は把握できる。/依拠するのは『徳川実紀』など近世の書が主か。

 

2018/01/28

与謝野源氏。原文で読みたいがとりあえず筋も知りたいし現代語訳で。「桐壺」から「乙女」まで。/原文は確認していないが、形容詞なんかは元の表現をそのまま残して訳しているように感じる。「◯◯的の」なんて言い方には時代性を感じる。/漫画も読んだことがなく源氏の通読は全くの初。誘拐も生霊もわりとしっかり書かれていて(おもしろおかしくした誇張なんだろと思っていた)驚く。/現代的に感じてしまうシーンはいくつもあって、充分に楽しんで読み進めた。/(ちょくちょく栗本薫のキャラクターなどが脳裏をかすめる。)

たまに顔を覗かせる作者の学問観なんかが面白かった。個人的には教養深く気高い六条が好き。

 

2018/01/29

書物の世界を広く知りたいので、『書物学』を順番に読んでいきたいなと。中野幸一さんのちりめん本についてが一番刺激的かな。鈴木俊幸・山田俊治・樽見博の鼎談も面白い。本を読みたくなるのではなくて買いたくなる不思議。/『論語』について、幸田露伴の『悦楽』がおすすめというのは良い情報。/広告も普段目にしないそそるものが多くて楽しい。

 

2018/01/29

再読。朱子学陽明学入門の基本書。1960年代の成立。京大東洋史の講義がもと。/背景として宋学が仏教・道教から受けた影響とその主体である士大夫について述べた後、宋学の源流(韓愈)と宋学(周濂渓・程明道・程伊川・張横渠・劭康節)の思想史的位置づけと思想内容を解説。そして朱氏・陸象山・王陽明の思想およびそれらの至る先である陽明学左派の思想を説く。/客観唯心と主観唯心の対立(伊川・朱氏と明道・象山・陽明、外の重視と内の重視)が軸。朱氏の体系性を評価しつつ、それが陽明学左派へと展開するのを必然とみる。

島田虔次は東洋史学者で吉川幸次郎の弟子。朱氏理解には、後藤俊瑞・安田二郎楠本正継の影響があることが書かれている。/朱子学陽明学入門の基本書とされる本。原典はカナ混じりで書き下されて引用されている。各思想家の思想はそれぞれの言葉に即して語られているものの、全体的な見方はむしろ図式的でかなりわかりやすく整理されている。あとがきにも窺えるが、筆者の関心は明→清の展開など、朱子学陽明学の近代との関係にあるため、本文でも各思想がもつ近代的思惟に対する意義に配慮する部分が目立つ。

「本書は朱子学陽明学の歴史を…内面主義の展開という見地のもとにとらえ、その見地のもとに私の今日までの研究成果を総括した」もの(あとがき)。決定版的概説書として書かれたわけではない。/同時代の中国での哲学史の構図を下敷きにして自身の構図を立てている。この、唯物論(張横渠)・客観唯心論(程頤・朱氏)・主観唯心論(程顥・陸象山・王陽明)という三分類とその名称の含意が正直あまり把握できない。/日本朱子学に関するコメントも所々にあり、君臣道徳と家族道徳との関係などの指摘は重要。

 

2018/01/29

1989、柄谷行人浅田彰蓮實重彦三浦雅士による1925-1945の日本の批評史についての座談会。1935で2つに分けて、それぞれ柄谷によるレポートを叩き台にして議論している。批評とは狭義の文芸批評ではなく「近代日本の知性の精髄」ととりあえず言っているが外延をしっかりと定義しているわけでない。当時彼らに共有されているものとしての「批評」。/『ゲンロン』の「現代日本の批評」を読んでから読んだ。/固有名詞的には芥川・福本・小林・川端・谷崎、岡倉・保田・武田・坂口・戸坂・中井などが論じられる。

大正時代に「日本的なもの」が見出されるということで、以後を「大正的なもの」の切断と回帰で語っていく柄谷の構図が基本線。/単行本版の「序」が最後に載せられている。この時期にアメリカで近代日本批評のアンソロを出すので、その編集をするというのがそもそもの発端だという。これは知らなかったゲンロン討議で触れられていたっけ。その解題翻訳に酒井直樹が関わっていてへえと思う。

 座談会は各々の思考の仕方がよく出ていて議論自体よりそちらに目がいきがち。だからこそ読み物にもなるんだろうが。/浅田が一番頭いいんだろうなーと思わされる部分がちょくちょく。浅田が一文で済ませたことを柄谷が長々と言い換えているシーンがいくつかある。/保田與重郎の評価について、柄谷に蓮實が絡んでいくところとかなかなか面白い。最後には一応納得する。/他の三人が自分の史観を立てていくのに対して三浦は注釈的な発言をしたり、あえて疑問を投じて話を進めたりする。誰かの話にノレてる時にこれがくるとイラッとする。

 

2018/01/30

上巻に続き座談会。1945-1989。雑誌に載ったのが1990なので完全に同時代までを論じている。1965で二つに分けて、前半は三浦の、後半は浅田のレポートを叩き台とする。/同時代なので、批評とは、文学とは、などの問いにも直接言及が何度かされており、強い断言が連発されている。/論じられる対象は、中村・大岡・野間・三島・江藤・吉本・橋本、大江・山口・古井・後藤・柄谷・蓮實など。当然自己言及になるし、自分の来歴の解説みたいになっている部分もある。三浦などは当時の実感を語ってもいる。

戦後に近代文学の自明性を問うことができたのは中村光夫だけ。それも相対的な良さで中村が良い書き手なわけではない。また、山本健吉吉田健一は文学を楽しむディレッタントで批評とは縁がない。蓮實「趣味で文学をたのしまれちゃあこまるんだ。」戦後前期に関しては蓮實の発言が圧倒的に面白い。/八〇年代、アカデミズムも小説も批評も解体しているのではないか。小説は植民地や階級など落差からこそ生まれる。英国文学は外国人でできているようなもの。日本にも在日何々人の文学があっていい。というのは現在の状況を観るに卓見か。

後半では政治的な状況も含めて現状分析などもなされている。批評・文学などについての現状分析は三浦の発言がやはり面白い。/戦後には緊張感が足りない、がしかし、言葉と向き合えば誰でも緊張する。緊張感が希薄だからこそ文学をするときなのではないか(なのに誰もいない!)などの発言は蓮實。/前半は三浦のレポートが叩き台だが、主張が強くないもののせいか皆さほどこれに沿って進まない。逆に議論が活発でよい。後半の浅田のレポートは切り詰められていて短いので、こちらもこれに沿うというよりも議論が方々に拡散していて興味深い。

 

2018/01/31

三冊目。1991。柄谷・浅田・蓮實・三浦に野口武彦が加わる。明治と大正を論じる。四人が野口をどう見ているんだかわからないまま読み終わった。明治については野口、大正については蓮實がレポート。最後に「「近代日本の批評」再考」として振り返りや論じ直しなどが五人でなされる(なぜかこれが目次にとられていない)。/言文一致・政治小説・蘇峰・内村・北海道・透谷・西田・二葉亭・緑雨・樗牛・天心・漱石・啄木、湛山・自然主義白樺派私小説・有島・柳・荷風真宗日蓮宗・柳田・折口・子規など。

大西祝について、小説と批評の初陣、煩悶→高揚→悲哀という構図など野口のまとめは他よりも歴史的な意味付けをしている感じだが面白い。江戸との接続などに関しては柄谷がさすがにまとまっていて、漢文の重要性なんかを一人だけ非常に強調している。宣長論も。/政治小説論は皆とても興味深いことを言っている。これは以後誰か深めてやっているのだろうか。政治小説自由民権運動の核心だとか、逍遥はアンチ政治小説だとか、政治小説的なものを漱石がとどめていたとか。

大正については、蓮實の規定が強烈。「差異の不在」(柄谷的には「他者の不在」)。全体的に蓮實がとても刺激的で、そのこと自体知れてよかった。柄谷の子規論=俳句論もまとまっているが、漱石論の周辺だからか。/「再考」では反復の構図についてのほか、父権的と母系的の話が長い。長すぎる気もする。一葉の女性的エクリチュール漱石の女性性がいわれている。/三浦が「皆さんと話していて面白い」から参加していると素直に言っていてそうだろうなと思った。蓮實は冒頭で「ちゃんとものを考えることが大事」的なことを言っている。

 

2018/01/31

『近代日本の批評』を踏まえて再読(初読はゲンロン)。東・市川・大澤・福嶋の座談会(2015-16)。1975-89は大澤の、-01は市川の報告を基調に。/前半が刺激的なのはある程度距離があって整理できているからか。大澤さんの地に足付いた議論が良い。最後に各々の批評への自負が語られていたりする。/後半は批評が分散しきっているのもあり議論にもいまいち軸がない。あるとすれば東浩紀評価なんだろうが、明示的に軸にはされない。やはり再読しても加藤典洋再評価あたりが一番面白い部分。

 語られるのは、プレニューアカ期の日本回帰・未来学と保守官僚・小松・外部論争・中上・柄谷と父子/私生児・江藤とネトウヨ・丸谷とオタク・批評の拡散・W村上・中島梓高橋源一郎・吉本・浅田・雑誌の時代・大正的なもの・大塚・ニューアカの世界性・中沢とニューエイジ/『Mの世代』・大塚・宮台・鶴見済・東・オカルティズム・大澤・『批評空間』・女性批評家(小谷齊藤)・『サルまん』とマンガ批評・小林よしのり・『朝生』『噂の眞相』・反戦声明・加藤典洋と語り口・筒井・福田和也・大学・カルスタ・斎藤環・ネットなど。

『近代…』の方も柄谷が駄洒落をいっていたり微妙に緊張感がなかったけれど、こちらも東さんらの語り口はリラックスしていて緊張感はない(屈折はあるのかもしれないし、「はじめに」は締まっているが)。/読み直して思ったのは、加藤が言い、そしてここで東も言う「語り口」の問題というのは、『近代…』の方で問題になっている「外部」に近いものではないのかと。蓮實は言語にこだわったが、言語そのものというよりも状況や身体にというか「今何が言えて何が言えないのか」にこそ引っかからないといけない。というような(それが言語ということ?